あるピアノ奏法② 故障に向き合ったピアノ教師(後編)
(故障に向き合ったピアノ教師:前編の続き)
彼女の知られざる功績として挙げられるものの一つに、
イギリスの有名ピアニストのしびれる手に向き合ったことがある。
それは、ほとんど今では忘れ去られた事かもしれないけれど、
記録としてはきちんと残っているもので
2000年頃までは医学系の歴史的資料の一つとしても記されていたようだ。
当時、著名であった女流ピアニストクララ・シューマンについていた彼女は、
クララとの共演も果たしており、
シュトゥットガルト留学時代からのドイツにおける活動は長くあった。
彼女の音楽活動は幅広く、アマチュア女性指揮者として
ドイツで初めて指揮台に乗った先駆者でもあったが、
陰では腕のしびれに苦しんでいた。
医者の治療を受けながら、演奏活動をしていたものの一向に良くならず、
そのしびれる手は、演奏の継続か断念かのギリギリの状態にまで悪化していた。
しかし、弾くことを諦めるわけにはいかない状況下、
持っていた積み重ねてきたピアニストとしてのプライドをかなぐり捨て、
年下の無名ピアノ教師に指導を受けることを決意。
カラントにすべてを委ねた、とある。
そのおかげで彼女はリサイタルへの復活が叶い、その時の感謝の意を込め
エピソードとともに、書籍(練習本)として明確に発表している。

「カラントの教え」
誰が彼女とカラントを結んだのかを読み取れる文字は見つけられていないが、
カラントは、自分の恩師デッペと同じように、
受け継いだ魂のもと、故障するピアニストにも誠実に向き合っていたのである。
③レントゲン撮影の力を借りて に続く。