あるピアノ奏法③ レントゲン撮影の力を借りて(前編)
③レントゲン撮影の力を借りて
あまり知られていないデッペのキャッチフレーズの一つである
「手は羽のように軽く」という言葉。
これは、「手を軽くイメージして弾きなさい」と言うような
安易な比喩の表現ではなく、現実に起こすスキルを指している。
「軽く(かのように動かす)」ではなく「軽い手(の実現)」の方が、
ふさわしいだろう。
けれどデッペの死後、直弟子カラントの元において、
完全に成就できた人ととして後世に名を残す人は居らず、
デッペから継承されるデッペ-カラント奏法として広まるには至らなかった。
この要因を、長くデッペを研究したエルギン・ロスは、
弟子たちの忍耐の無さ、得ることへの辛抱の無さが原因だったのでは?と
書物の中で彼女の意見として挙げている。
エルギン・ロスは、デッペ研究の末、
ショパンとデッペの類似性について書いた書籍を2004年に出版した。
ようやく最近になり
ドイツ在住日本人の方が邦訳、ちらほら読まれる機会を得ている。
私は、この翻訳が出版される前に、
語学が苦手な拙い頭で原本を自己翻訳し読んだのだが、
正直、少し解読に違う部分があったのは、
やはりどうしてもそれぞれの先入観や固定観念をゼロにして読む
ということが非常に難しいものであり、
カラントが懸念した「言葉こそ誤解の最大の源泉」に成りうる
ということの、ひとつの表れなのだろうと思った。
表題にある言葉がやや原題と違っているのは、
広報的なキャッチーさをお考えになってのこと、と推測している。
弟子の中で遺稿を託すにあたり
デッペが選んだのはカラントだったわけだが、
彼女も自身が弟子たちに伝える中で、言葉の持つ意味の難しさを実感し、
表す言葉の選択が変化していることを記している。
彼女著書の古書は、非常に文章が読みづらい。
これは私のドイツ語の読解能力不足が大いに関係しているが、
彼女のキャラクターも少なからず関係しているのでは?と
感情が敏感な人柄の激しさの一端が、滲み出ているように感じる。
1800年代終わりが近付くと、
やがて彼女にとって光明となるか、と思われるレントゲンが発明された。
(後編へつづく)