変換するリスク


ショパン音楽院 (現ショパン音楽大学)では、
教授によってはアシスタントの講師がいて、

毎週の教授のレッスンではない曜日に、
アシスタント講師のレッスンも
受けることができる形態だった。

ロマニウク教授も
当時ラミーロ・サンジネス先生という講師が
アシスタントに付いていた。(今現在は教授になっている)

ラミーロ先生は、
見た目は、ヒゲモジャで、
気の抜けたコーラが大好きなボリビア出身のポーランド国籍人。

レッスン室の隅には、
必ず2リットルのコーラのペットボトルが置いてあった(笑)

頭が良く、物凄く繊細で、
私の顔色で瞬時に心情を察する人で
そんなラミーロが奏でる音色は、格別に美しかった。

アシスタントという立場の理解も深くありながら、
気質が異なる外人の私を
いつも柔軟に包んでくれていた。

確かスメンジャンカ先生の
元愛弟子と聞いたことがあったような…

スメ様とラミーロ先生が
ばったり大学であった場面に遭遇したことがあったのだが、

さっとスマートに膝を折って、
スメ様の手を取り、甲へ挨拶のキスをした姿が
映画のように美しかったことが

今も心に焼き付いている。

そんなスメ様からの信頼が厚い共通点もある
ロマニウク教授とラミーロ講師だが、

奏法、弾き方は、
やはりそれぞれのものがあった。

ロマニウク教授は180cmはあるだろう大きい身体つきだが、
ラミーロ先生は、中肉中背。

性格も全く違う。
骨格、手の大きさ、指の長さも違う。声の大きさも。

レッスンは、共通でポーランド語だったけれど、
言葉の表現、チョイス、伝え方などが
同じになるわけもなく、

時々2人が言っていることが、全くの真逆のように聞こえ、
酷く混乱したことは幾度もある。

介する楽器は同じピアノ、楽譜も同じ。
どちらかが誤ってるわけもないのに、
頭のパズルがハマらない。

けれど、時間を掛けながら
自分の中であきらめず模索して行くと、

ある時、ハッと同じ着地点だということに気付いたり

巡り巡ったある日、
あ、これは違うようで同じこと言ってるだけだと
急に謎が解けることもあった。

文字や言葉というのは、本当に難しい。

伝える側の表現、
そして受ける側の捉え方というのは、

それぞれのそれまでの経験、知識、
本人のセンス、性格、元々の運動神経によっても
千差万別になる。

その昔、海外で出版された
ピアノ奏法についての文献のことだが、

日本語に翻訳された際、
正確な単語がチョイスされずに
日本に渡っている形跡を
指摘・危惧する論文を読んだことがあった。

さまざまな素材や部品が組み合わさり、
複雑な関数で計算されているピアノを動かすという

目に見えない感覚、
個人だけが感じ取れるデリケートな世界を

言葉、文字、言語に変換するということは、
時に誤解を招きかねない、
大きなリスクがあると感じている。

ましてや、それを深い考えも体感もなく
イメージで受け売りすることは
安直で無責任だと、私は思っている。