二つ目のアパート その1 ~グラビア嬢現る~


引越した先のアパート。

部屋の天井は、前のアパートより遥かに低い。
バスルームには湯船があったが、これが面白いほどすこぶる古くて。

湯船の内側・側面が、まさかの軽石化。

少しでも速度を持って肌が触れれば、
皮膚が削れそうになる仕上がり。

生まれたままの無防備な姿で臨む場所として、
危険エリアだった(笑)

旧アパートのお風呂場は、
後付けされたと思われる綺麗なシャワールームだった。


湯船があっても、シャワーが主流の国では、

肩まで湯に浸かる使い方は、
基本しないのだろうと改めて感じた。



備え付けの棚は、日本だったらお払い箱になりそうな年代物。
冷蔵庫もひと回り小さくなった。

窓は白い木枠で、隙間風がバンバン入る。が、
リビングからは、小さなベランダに出られて開放感があった。


居住用アパートの一般的な間取りだったと思う。

旧アパートは、
建物自体が元々何か役所らしき目的で使われていたもので

社会主義が終わった後、個人用にしたものなんじゃないかと
想像させられた。


新アパートの大家さんは、
窓の外に見える大きな木を指し

 『この木、私、嫌いなのよね。綿がいっぱい降るのよ』

と手を左右に拡げて首をすくめた(欧米人がよくする仕草)

その木の名前は、ポプラみたいな発音だったように
その時思った。


同じ階の隣人さんは、もの静かなご夫婦。

階下の隣人さんは、優秀な大学生の娘さんがいるファミリーで、
下から繋がっている換気管?を伝って、
よく喋るお父さんの声と彼女の笑い声が聞こえてきた。


その階下の家族と信頼関係ができたのは、
きっと、それまでずうっとその部屋に日本人が住み続けてきた歴史が
あったからだと思う。

入居後、掃除をしていると

日本で長く刊行され続けている雑誌「ショパン」のしこたま古いものが
棚の奥の奥に、何冊か置かれたままになっていた。


男性の居住者も居たのだろうか。。。
下駄箱の上からは、

グラビアクイーン かとうれいこ嬢 の水着ポスター

まで出てきた。
(あの黄色いハイレグは衝撃で、今もまぶたの裏に焼き付いている。笑)


汚れも歴史を積み重ねていた。
思い出せば、キリがなく笑いが蘇る。


大家さんとの関係だけでなく、
周りの隣人さんとの友好関係も大切に努めた。


階下のファミリーは、気さくで友好的な家族だったことは
引越しをしてきた私には本当の救いであり、

聞こえてこないわけがない私のピアノの音にも、
理解を持って貰えたことは、
今までの留学生・日本人居住者のお陰だと感じた。

夜明けが随分遅く、身体も朝を感じにくい冬。  

夕方4時には、もう闇に包まれ、また長い夜が始まる。
街のひと気も早くから減り、空気もより冷え静まる。

あまりの暗さに、精神がやられてしまう留学生もいると聞いた。


中央駅も止まり
街が完全な無となるクリスマスは、日本と真逆だった。

私は、すこぶる鈍感なタイプだったのだろう…

幸いあの暗さに滅入ることはなく、へぇこうなんだ〜(*⁰▿⁰*)と
映画のワンシーンのように眺めていた記憶がある。


窓から見える景色。

大きな大きなその木も葉を落とし、
私はその冬、今までの想像を超える寒さを体感することになる。

ワルシャワにきて、3回目となる長い冬を迎えていた。