溢れるピアノ奏法指南
脱力奏法 重力奏法 ロシア奏法 ムチ奏法…etc
ネット社会になった今、ピアノ+奏法 で検索すれば、
(エビデンスを問わなければ)
溢れるほどの情報を四方八方から得ることができる。
最近では、コロナ禍の影響か
説明・解説動画というものも一気に増えた気がする。
冷蔵庫から卵を取り出すという目的を思えば、
特別な意識=どこの筋肉がどう収縮・弛緩、
上腕二頭筋がどうとか考えること なく、
扉を開け→止め、
割らないよう卵をソフトに掴んでゲット!を
普段から無意識レベルで当たり前に達成することができるけれど、
ピアノの音は猫でも鳴らせるのに、
自分の中に感じるセンスを確実な音にするというのをゴールに定めると
簡単な道のりとはいかない。
解説動画が流行るのも当然かもと思う。
誰の教えもなく自らに湧き上がってくるモノ。
音楽に触れたときでも、“センス”は現れる。
ただピアノの場合、
そのセンスは、楽譜、そして目の前の楽器を介し、
音に変換できなければ、見えてこないという関門がある。
そして、その楽器ピアノというのが、
アクション部だけでもこれだけの部品がある物体。
もっと追求すれば、関数の世界。
指からセンスというビームが出て、鍵盤に伝わって
結果、音になってくれたら楽なのだろうが、
ピアノは、そんなシロモノではないところが
結局、大きな魅力なのだろう。
しかし、皮肉にも人間の聴覚というのは、
視覚に騙されるという欠点があるらしい。
弾いている姿のパフォーマンス
作られた雰囲気や演技によっては、
聴衆の耳が錯覚してしまうことがあるというわけだ。
パフォーマンス性があったと言われるリストのように、
そういう一面が肯定される場面も勿論あるだろうと思うが
愛を感じて とか 心を込めて とか
想うだけで音が変わるかのような言い方ばかりで、
具体的な説明が無い、無根拠のファンタジー解説動画は、
どうしても、頭の上にハテナが並んでしまう。
巨匠や世界の著名ピアニストの表情にも当然変化が見られるが、
それは音と技術が比例したもので、意味が違う。
必ずそこに技術というものが存在している故の違和感が無い。
イチローも言っていた
「今は情報が多すぎて、どれをピックアップしていいか
という問題がある。」
2:20あたり。
動画、冒頭では
「目に見える部分しか言えない人が多い」とも。
チョイスする能力。
沢山の情報が簡単に入るようになった分、
なかなか大変な現代だ と改めて感じている。