自由気ままなワルシャワの地下鉄


当時のワルシャワには、市の中心を横断するかのように
南北にまっすぐ地下鉄が1本通っていた。


その施工に携わったのは、どうやら我が日本だったようで、
定礎の表示を見付け、日本のJV(共同企業体)の文字を見た時、
(今、確証できる記録は、残念ながら見付からなかった)

車や電化製品だけでなく、インフラの点でも
日本と深い関わりがあったんだな…と感じたのを覚えている。


今は、東西に走る線を工事しているらしく、
調べてみたところ、受注したのはトルコの会社のようだ。


留学時代、毎日のようにお世話になった
まだ1本線だけだった地下鉄。


あらためてこの機会に
ワルシャワの地下鉄の歴史を調べてみて、

日本が関わった南北線の施工までも、
それは気の遠くなるような長い歴史があった事を
改めて知った。


何度となく計画された工事が
戦争や世界恐慌に翻弄されて立ち消えた過去を乗り越えて

やっと完成した交通機関だった。

そんな地下鉄には、
色々な思い出、エピソードがいっぱいある。


確か、終点駅のカバティに着く時だった。

到着寸前の駅名の車内アナウンスから、
突然 子供の声が聞こえた。キャッキャッ!

((((;゚Д゚)))))))?!

一番前の車両に居なかったので、確かめられなかったが、

確かにあの声は、中川家の礼二さんでもなく、
子供の声だった(笑)


日本で車両が停止線を越えて、停車すると新聞沙汰になるが、
ワルシャワの地下鉄は、平気で予告無しのバックをする。

まだ新米の運転手さんだったのだろうか…
バックし過ぎて、また進んで、行き過ぎたからまたバック もあった。

でも、乗客も一瞬眉を顰めるくらいで、特に咎めない。
あ、行きすぎたのね…くらいの温度だ。


扉を閉めるアナウンスが抜けていたからか、
飛び乗ったわけでもないのに、扉に挟まれた経験は何度もある。


人が途切れる前に扉を閉め始めたりもするので、 
さっさと乗ってくださいな というお知らせと
捉えるしかない。笑


でもこれらは、地下鉄に限った事でなく、

バスの運転席に子供を抱えたお父さんドライバーも見たし、
知ってか知らずか乗客の誰も何も言わないのも同じく。


トラムと人間、トラムと車との軽い接触事故は、
何度も見たが、どれも「あ、ゴメンゴメン」と見合うと
さっさと無かったことになっていた。


((((;゚Д゚))))))) 
しかし、この↑日本人の感覚というのも
いつしか気に留めなくなっていた。

人は、慣れる事ができる動物だ。苦笑



「ワルシャワのトラム」で調べると、
今は、ほとんどが新しい車両のものが画像で出てくるようだが、

当時、観光エリア以外は、乗り口も狭く、
老人には優しくない階段がある古いタイプの車両がほとんどだった。


隙間風もバンバン入り、突然電気が消えることもある。
接触不良なのか、扉が閉まらなくなって、

運転手さんがいちいち手動で閉める姿は、何度も見た。


車両自体が急に故障することもしょっちゅうだったので、
四方八方からのトラムが、行き止まりを食らって

トラムの数珠繋ぎが綺麗に出来上がるのは、
よく見る光景だった。


全て15年以上前の話なので 
流石に(特に前半部分は)今はないだろうと思うけど…

これも
懐かしいワルシャワの思い出の一つである。