二つ目のアパート その3 〜 本当に鼻毛は凍る 〜
ポーランドに渡って、最初の1年は、
パソコンも持って行かず、テレビも買っていなかったので、
新情報が滅多に入ってこない環境だった。
天気予測とかどうしてたんだっけ?、、、と
あの頃の自分が謎である。笑
ようやく2年目にして、電化製品屋さんの店頭で
一番安価だったブラウン管のテレビを買った。
その頃のワルシャワは
急速な発展をしている時だったんじゃないかと思う。
当時、電気店で見かけたテレビは、確か
主に…SONY か LG か DAEWOO のもの。
当然一番安いのは、韓国製のDAEWOO。
私が買ったテレビである↑。
買ったテレビをバスで持ち帰ったのだが、
日本のような持ち手の紐サービス(梱包サービス)は皆無だったので
何度も滑り落としそうになったのを覚えている。笑
ポーランドのテレビのローカルチャンネル数は、
当時まだ少なくて、確か3か4チャンネル。
だから、再放送は当たり前。
再放送の再再放送だけでなく、再再再放送もあった。
つまりゴールデンと言われる番組は、いつまでも光を放つ。
映画の放送は、吹き替えのおじさんが、
1人二役 いや全部のセリフをポーランド語で喋っていく。
男役も女役も関係なく、全ておじさんの単調なセリフなのだ。
その棒読みというか感情の起伏が無いのが、なんともおかしくて。
そんな映画も同じものの再放送が実に多かった。
毎日19時くらいだったか、
5分くらいのロト?みたいなくじ抽選の番組があって、
大きなマシーンから飛び出てきたボールに描かれた数字を
綺麗なお姉さんがひたすら読み上げていくのだが、
ポーランド語の発音は、シュッシュシュッシュしていて、
数字の発音も難しいけど面白く、
(チュッチュ💋いえでん と聞こえたり…笑)
ロトは買ってないのに、毎日当たり番号に注目していたお陰で
数字の抵抗も割と早くに無くなった。
ケーブルテレビを引くサービスの会社も
モール街(スーパー)の中にあったので、
ブルジョア層の人はそれも選択できたようだ。
海外情報の専門チャンネルなんかもあったみたいで
プロモーションに相撲が映し出されている画面を見たこともあった。
そんないつものある夜。
寝る前に、次の日の天気予報を
なんとなく眺めるくらいの感覚で見ていた。
毎日、ワルシャワの天気の後に、
モスクワの天気も紹介される。
「 明日のモスクワの天気は、ー(マイナス)20° です。」
((((;゚Д゚) ー(マイナス)20°。。。 へぇ…
明日はモスクワは、大変だなぁ
と思ってよその国の事と思っていた。
が、
確か二日後くらいだったと思う。
小さな教会で、友人のコンサートが有り、出掛ける約束をしていた。
コンサートが終わり、
地下鉄の駅までのトラムを待っていた。
その時、すでにいつもと違う空気が。異常に寒い。
いや、寒いどころではない。
本当に凍るとは、この事だと感じるほどに
ブーツの中も凍りそう。手袋の中も凍りそう。
しかーし、肝心のトラムがちっとも来ない。
顔が痛くなってきた。鼻毛も凍りついてきた。
でも、トラムが来やしない。
ー(マイナス)20° の数字。
あのモスクワの−20°が、ワルシャワ でも起きていたのだ。
自分よ、なぜその日に限って、天気予報見なかったー🙈
留学する前の1月に飛騨高山に行ったのだが、
その時もかなり雪が降った年で、−10°を経験していたけど
そんなもんではなかった。
死ぬかと思うような寒さだった。
ようやく来たトラムと地下鉄を乗り継ぎ、
生き戻ったアパート。
湯船のありがたさが身に染みた夜だった。
が、それは翌朝まで影響が。
起きて蛇口をひねるが、水が出ない。アパート内すべての口から全く出ない。汗
窓の外の音もなんか違うのを感じ、階下を窓から覗くと、
アパートの周り地面一帯に、見事なスケートリンクが出来上がっていた。
あらまー((((;゚Д゚)))))))
少し離れたところで 水道管が破裂していたのだ。
停電はよくあった。
旧アパートでも 前住人さんが残していった使いかけのろうそくが沢山あり、
私も、突然の停電でろうそくを付けて、
長い夜を過ごしたことは何度もあった。
だが、スケートリンク場はお初。
しばらく必要だな
と早々にスーパーへ水を買いに行った。
長期留学は、何が起こるかわからない。
良いことも、悪いことも、びっくりも盛りだくさんだ。