脱力? 肩から弾く?…ピアノ奏法 その1
ピアノ奏法。
最近は「脱力」と並んで
「肩から弾く」「肩甲骨から弾く」etc というキーワードも
流行っているよう。
上記のキーワードを含む奏法解説動画において、
その意味合いは、発信者によってもマチマチのようだが、
その中の、腕や肘の角度、指の形などの細かい説明を参考にし、
普段しない動作を感じ、色々な視点で鍵盤に触れてみる事も
自分の身体を知る術、試行手段の一つになるだろう。
専門的なコースのある学校でスタートを切ったものの、
その後、コンクールに出たり渾身の特別レッスンを受けるような道を
辿らなかった私は、
特に信じ切っていたものがあるわけでもなく、
先生のしがらみも無く、
良くも悪くも前情報、先入観が無かった。
もっと繊細な音を出すためにはどうしたらよいのか。
海外なら何かヒントになるものがあるんじゃないかな。。。
素朴な疑問と探究心
日本で海外のピアニストの音を聴き、
特にショパコン入賞後のスルタノフのソロリサイタルの音には衝撃を受け、
純粋にそう思ったのことが、留学の始まりとなった。
終演後、CDにサインをしてもらい、
手を握って貰ったら、それが凄いふくよかであたたかかったことが
感触として忘れられない。
日本から、ポーランド、そして隣国ドイツの二つの街へ。
振り返ると、
右から左へくらいに傾向が違うものを辿るものだった。
ポーランドでは、ショパンの民族リズムを背景に、
ロマニウク教授の指導で、ロシア系の奏法(巷では重力奏法と呼ぶ?)の影響を受け、
その後、
もともとハイフィンガー奏法のルーツがあると言われる
ドイツのシュトゥットガルトへ行き、
そして、それまでとは全く違い、そのどちらでもない
近代的エリア、ドイツのデュッセルドルフに着地。
日本の伝統モノでも流派がいくつも在るように、
ピアノ奏法も結局、枝分かれ→枝分かれになって
一括りにはできないのが前提だが、
分かりやすさ優先にざっくりすると 上記↑のようになり、
国それぞれの風土から来る音楽に対する意識も
エリアエリアで大きく違ったことは明らかだったと思い返す。
その土地の空気で、
真横で弾きながら指導される各教授の影響は、
どうしたって絶大になる。
しかし、その後は、
結局、自分なり(生徒なり)の解釈の仕方が重要になる。
簡単な例を出せば
ロマ教授が言っていることをすんなり咀嚼できたら、
腱鞘炎とは無縁になりそうだ…と思っていたけれど、
自分と同じ門下のポーランド人の生徒で、
腱鞘炎になっている女の子も実際居た。
例え先生が発する単語や言葉が同じであっても、
人によって(生徒によって)取り方が同じになるとは限らないのだと
思った。
そもそも身体が違うので、一緒になるわけがないのだが、
言葉というものは捉え方が違えば 結果は様々に変わってくるだろう。
私の場合、(上記を参照にあくまで私の感覚だが)
ロマニウク教授の指導は、ワルシャワで4年半受けたが、
今の私の現在の奏法を10とするならば、それは5くらいを占める。
その身体の状態でドイツへ移動した。
一度、折った折り紙は、
もう一度広げて、新しいものを折ろうとすると、
その一度目に付けた折り目が、新しい流れを邪魔する。
海を渡る前、自分流ながら作り上げていた弾き方があったが、
それは、その一度目の折り目のようなものだった。
できそうになっても途端に崩れたり、
出来上がったように思っても、どこか歪みがあったり…
新しい折り目を取り入れながら、
何度も広げ直して、前の折り目を薄くしていく。
そんな作業の繰り返しの4年半は
今の私の基礎の大きな部分になっているのは間違いない。
コレは外から見える形とかではなく
身体の中の感覚を指しており、
すなわちあくまで私の捉え方(例え)であるが、
力点・支点・作用点という物理で表すと
この時点(ワルシャワ→シュトゥットガルト)
留学前とは、支点と力点の位置変化が一番大きくなっていた。
肩・背中の感覚、意識である。
この頃の環境上、
インターネットから情報をとる術が無かったので、
頼りの綱は、結果の「音」、つまり
信じれるものが自分の耳のみだったことも大きいだろう。
近頃は、ロシア奏法と名のついたものへの注目が多いようだが、
カナメはその格好や形が出来ているか否かではなく
身体の故障なく、
個人のセンスが、最後まで緻密に音に変換できているかどうか、
最終的に こういうふうに弾きたいというものが
そのピアノを生かしてスムーズに表現できているか否かだと思う。
最近の私は、
著名な海外のピアニストは、ロシア系と括られる人でさえ
逆に、一つの奏法だけに固執し
駆使しているわけではないと感じている。(イチローの言う「深み」だ)
手首、指先が自由自在で
すなわち疲れが溜まらず、身体におかしな負担が無い。
年を重ねても、
美しく弾き続けることができている。それが共通項。
人間の生体上、またピアノという楽器の構造上、
ピアノを弾くという手先よりも、
まず、そもそもの発生源である上部/肩(肩甲骨)・背中の意識、
その支点・力点のコネクトから重要になってくるということは、
筋が通る理論ではないか、理にかなったアプローチでは無いか
と私は考えている。