椅子の高さ と 色彩ある音
私は、身長が低いがピアノ椅子も随分低い。
それを奇異な目で見る人もいるし、
気付かない人、気に留めない人もいる。
ぱっと見は、弾きにくそうに見えるらしく、
負担が掛かるはずだ と憶測された過去もある。
これは、故意に突然低くしたのではなく、
海に渡る前は、むしろ高い方だったものが
長い年月を掛けて、だんだんと低くなっていった経緯がある。
留学最後の地、
デュッセルドルフへ移動した時点ですでにだいぶ低かったが、
シェンク先生で更に熟し、現在、この(今の)低さに至っている。
日本でコンクールの伴奏をした時、
会場の椅子が、合う高さにならないタイプで、
舞台裏に置いてあった別のパイプ椅子で対応させて貰ったことがある。
(主催者様の親切なご対応に感謝)
ピアノ以外の楽器の人は、
私の弾き方を好意的にいてくださる方も居るが、
逆にピアニストからすると、
どうしてもなんだか辛そう見えるようで、
本人にそのような不自由さが無いことは、伝わりにくく
プロでも分かりにくいものなのだと、感じている。
2015年のショパコンのファイナルコンテスタントの
ゲオルギ・オソキンス氏を見た時、
ん?これはひょっとして…と思ったら、
やはりシェンク先生の門下生だった。
調べると彼は、ジュリアード?留学時はババヤン氏に師事とあった。
2010年時、ショパコン3位のトリフォノフ氏と同じだ。
その後、どんな経緯があって
デュッセルドルフ音楽大学に在籍したかは分からないけれど、
ファツィオリ製の椅子の低さは、ボジャノフ氏と同じく、
むしろそれを超えるほどに見える。
彼の肘・手首の低さや見た目の様子から
不思議に思う人は多いかもしれないけれど、
彼の中には、弾き辛さは微塵も無いだろう。
この奏法は、日本人ウケが弱いかもしれない。
ぐいぐい押し込むような上からの圧の表現ではないゆえ
それが好みのひとには、物足りなさを感じるかもしれないが
細くて柔らかい音の中には、
芯と煌めきを見せる側面があると私は感じている。
私が、
デュッセルドルフ音大の室内楽・伴奏科に在籍していた頃、
ボジャノフ氏の後輩か、学部生だったか
はっきりと記憶していないのだけれど
シェンク門下生で
スキョンという韓国人の女の子がいた。
(彼女も身長小さい系だったが、椅子は私より更に低かったと思う)
学内演奏会で聴いた音は、とにかく綺麗で鮮明だった。
アンコールで弾いたスクリャービンのエチュードは
音だけでなく、構成も素晴らしかったのを覚えている。
ただ初めて見た人は、
正直、その姿にびっくりするかもしれない。
彼女は、日本人好みのコンクールでは名を馳せてないので、
ご存知の日本人のかたが少ないだろうことは、残念だ。
ピアニストの体の中で起きている現象は、
実際、本人にしか分からないけれど、
結果として聴こえる音は、正直で嘘がないと思う。
これはあくまで科学的根拠の無い持論(イメージ)なのだが、
私の中で、音には
上向きの音 と 下向きの音 として区別できるものがあり、
(そう聴こえる)
上記のボジャノフ氏やトリフォノフ氏のような色彩の音楽には、
その上向きに属す音が多いことを特徴に感じている。
(元々の発音が全体的に上向き)
これは、
上向き下向きどちらが正解とか不正解というものではない。
最終的には聴く側の好みとして着地する。
音色、技術、読譜、構成、センス…etc
いろんな要素が必要なピアノは、追求するとどこまでも奥が深く
面白いなぁ
と、つくづく感じている。