ランラン氏の指練習とエカテリーナさん


あの有名な世界的ピアニスト・ランラン氏を初めて知ったのは、

仙台で開催されているコンクール
「第2回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール」の
テレビ放送だった。

1995年のことだから、随分昔、25年以上前のことになる。


彼のプロフィール上では13歳の時と見受けられるが、
番組内では、ナレーションで 6年生と伝えていた記憶がある。

コンクール中は、常に中国人の先生が同行している様子で

母国である中国では、すでに秀逸なピアニストとして名を馳せており、
もちろんそのコンクールの優勝候補の1人という紹介だった。 


日本からは、まだ同じ年頃の上原彩子氏が参加されていて、
その他、国々で天才と言われているような少年少女が名前を連ねていた。


参加者全員をカメラが追っていたわけではないが、

その中、ロシアから参加していたエカテリーナさんという女の子が
私の中では、特に印象的だった覚えがある。

彼女もロシアで注目されているピアニスト少女ということで、
母国ロシアでの彼女の生活の様子なども紹介されていた。


上原彩子氏の他には
姉妹で同時参加している日本人少女ピアニストがいて、

視聴者目線では、
彼女らに焦点を合わせて、番組が進行しているものだったと思う。


彼女らもコンクール出場前の自宅の練習風景が取材されていて、
インタビューの場面も多く映像に組まれていた。
(その2人の演奏は、コンクール以前にホールで生を聴いたことがあったのだけれど、
 すでに舞台最初の会釈の仕方から違うものを感じさせられた)

番組は、入賞の可能性を示唆して追いかけていたのかなと思う。


番組内では、ランラン氏がコンクール中、
練習室が見付からず(使えるところに行き当たらず)

どこかのテーブルの上で、
先生に指導されながら指運動しているというエピソードが映っていた。

ナレーションの解説を思い出せば、
その指運動(練習)は中国式だという言い方がされていた。

動きを簡単に文字にすると、
手を机の上に置いて、指を高くあげて、そこからトントンと真っ直ぐに下ろす
という感じのもので、

一瞬、日本のハイフィンガーを思い浮かべてしまいそうだが、
それではなく、

また、ピアノ奏法 その3 で投稿した
重量奏法という小冊子の中にも、似た練習方法の記載があったが、
それともまた違うものだろうと思い返す。


そのコンクールの優勝者となったランラン氏の演奏には、
押し付けるような表現もなく、音も軽く、

いつも上を見ているような、今の表現といい意味で変わってないところもある
とても個性的で圧巻の演奏だった。


私の推しだったロシアのエカテリーナさんは、
ブロンドに近い髪色で、華奢ではなくしっかりした体格の少女だった。

彼女も当然ファイナルまで順調に進み、

課題曲である協奏曲は
母国ロシアのオーケストラとの演奏で言葉の壁も無い状態だったのだけれど、

サンサーンスの協奏曲は息が合わず
リハーサルで苦労する様子の映像が長く流れていた。 

オケの団員が戸惑ってる顔色がアップになるシーンや
エカテリーナさんが指揮者に何やら問われる場面があったり、

とにかく彼女は速く弾けてしまう 
というような日本語のナレーションが訳として流れ、  

舞台下にいる彼女の先生が『あなたが(オケよりテンポが)早いのよ』と言えば、
エカテリーナさんは、指を左右に振りながら『いいえ!私は早くないわ!』という
そのやりとりもズームされて、

本番で失敗するのを視聴者に予測されるかのような作りになっていた。


結果、エカテリーナさんは入賞ならずだったが、
その時の彼女のテクニックは、間違いなく素晴らしいもので、

優勝候補の1人だったのに…という感じの
後ろ姿のスローモーション映像は、
私も幼きながら、正直好きではないなという感想を抱いた。


それに引き換え 

上原彩子氏は初めてのオーケストラとの共演にも関わらず
順調にリハーサルを終えたとのナレーションで、
見事、第二位に入賞。

ヤマハご出身で、当時から有望視されていた上原さんは
毎週テレビ放送されていたYAMAHA ジュニアオリジナルコンサートに
当然すでにご出演されていて、

演奏が始まると何か才能が憑依するかのように、
大きく体をもたれかけるようなスタイルでメフィストワルツを演奏していたのが
凄かったのを今も思い出す。


かつてショパコンの審査員をしていたロシアのピアニスト
ゴルノスタエヴァ氏にテレビ番組でピアノ指導を受けていたお姿も
変わらず印象的。今もそれは見ることができるはずだ。


ランラン氏が復興支援の為、震災後に訪れた仙台で
宮城学院女子大学で演奏会をし、

「仙台コンクールに参加した時は、そこで練習していたから懐かしい」
というコメントをされたようで、

番組のナレーションを疑いもなく鵜呑みしていた中学生の私は、
可愛いかったんだなと振り返る。苦笑


実家の映像まで流れていた姉妹のピアニストさんは、 
「2人揃っての本選出場の夢を果たすことはできなかった」  
「夏が終わった」とのナレーション。

そんな言い方しんくっても良いのに…と幼き中学生は感じたが、
その後、2人はクラシックに拘らず、
分野を広めてご活躍されているらしく、流石だなと思った。


最近まで当録画がネットで見れたはずなのだけれど、
NHKの著作権の問題にあたったのか、
投稿者の取り下げがあったということで削除になっていたのは残念。



ランラン氏は、その後アメリカへ渡り、カーチス音楽院に進学。
その後、アンドレワッツ(シェンク先生の恩師の1人らしい。
↑海外の先生は案外自分が誰の弟子とか孫弟子だとかをそんなに公言しない)の
コンチェルト代役で、

とてつもない注目を浴びて一躍世界に名を轟かせる人に。

あの時の中国式(番組のナレーションではそう説明されていた)の練習は、
何かしら彼の基礎のものではあったのだろうけど、

今の名声は、
頭脳明晰な彼が吸収したその後の色々な知識の積み重ね、
奏法を進化させ続けた集大成なのだろうと敬する。


ちょっと前、医学博士の古屋先生もランラン氏の頭に
機械を付けて脳波を調べていたのは、その証でもあるだろう。

ランランの史実がハリウッド映画になるとかいう話が
本当だったら、とても楽しみである。


ランラン氏の奏法も、おそらく 
巨匠らの教えと自分の基礎とを束ねたランラン独自の唯一無二の奏法で、  
奏法はというのは、やはり一つではないと思う。

例え一口にロシア奏法といっても、数知れず
流派だけでも様々あるそうなので 
椅子の高さとて、全てロシアだからといって高いわけでもないと考える。


第16回のショパコン優勝者のロシア出身ユリアンナ・アヴデーエワ氏は
椅子が高いが、

私が好きなロシア系ピアニストの場合は、ほとんど椅子が低めのスタイル。
ホロヴィッツも低めだ。


ちなみに、最近の私の注目株は、
ロシア出身、金髪ナイスガイのアレクサンダー・マロフェーエフ君。  


延期になっているショパコンには出場しないようだが
生で聴ける日が来るのが、今から楽しみだ。