コンクールといえば。。。
随分前になるが、
テレビドラマで「フジコ・ヘミングの奇跡」というドラマが
菅野美穂さん主演で放送されたのを思い出す。
実際、私が見たのはリアルタイムではなく、
録画をしばらくしてから見た、だったか再放送だったかと思うのだが、
あのドラマの中で
フジコ氏が幼少期に受けたコンクールのシーンが出てきて、
それが凄く印象的だった。
舞台袖で控える出場者が並んだシーンから続き、
コンクール本番の舞台は、全て幕で覆われ(緞帳が下りたような状態で)
客席側つまり審査員の方からは、演奏者の姿が一切見えないスタイル。
当時は覆面審査と言われていたよう。
客席に居るフジコ氏の母親:投網子氏は、
幕向こうの演奏者/出場者たちの音を耳を澄ませて聴いている。
そのうち、突然一言呟く。
『ピアノ(音)が変わった。全然違うじゃないか。今弾いているのはフジコだ』
昨今のコンクールでは一切聞かないが、
これが当時の審査スタイルだったのだろう。
母親の見解通り、フジコ氏は優勝。
覆面審査の信憑性は分からず、
ドラマ的な演出も多少あったかもしれないが
演奏者の姿が見えない審査員に、
番号以外に何も事前情報が本当に無かったのならば、
視覚に惑わされず、耳/音だけで判断し審査した結果として
それは凄く意味深く尊いと感じたシーンだった。
今、この完全なる覆面審査がなされたらどうなるだろう。
水面下で大変な騒ぎが起きるのかな…
100m何秒で走るというような確実な数字が見えるものではない
人間が判断する芸術点の世界。
これからの現実には採用されないだろうスタイルだとは思うけれど、
あのシーンはまたゆっくり見たい。
音は千差万別。
ドラマの中では、フジコ氏の生い立ちと境遇ばかりにフォーカスが行き、
彼女の何が違っていたのか、どんな奏法を彼女が会得していたのかという事には
触れられていなかった気がする。
確かに、人がどうやってその音を出しているのか
他人がそんな簡単に分かるものではないゆえ
ドラマにするのも難しいところだろう。
しかし、彼女の境遇、背景が
彼女の音楽の悲哀さを直接醸し出しているのではなく、
それは聴く側の脳が、ドラマのように
勝手に大きく影響させている部分だと私は思う。
ドラマによって知名度は上がり、
確かに、相乗効果が大いに関わったことには違いないのだけれど
それよりもはるかに 彼女の奏法とセンスが違うからではないかと
考えている。
このコロナ禍になり、音楽業界も大きく変わった。
生音に勝るものはないことは絶対的に間違いないのだが、
アコースティックな楽器を信号に変えた配信で伝えなければならない状況は
やむを得なくなってきている。
またそれがこの先を見据え、
当然のようにやや麻痺気味になりつつあるということも
否めない気がする。
コンクールもオンライン。
録音物のみの審査もあるらしい…😳
名古屋でもシャンソン生ライブで有名だった某音楽館が
音楽配信のできるスタジオに変身するそう。
YOSHIKI様のクリスタルピアノが入ったそうで
名前も一新。
流行るような気がする。
最近は一般人のYouTube ライブも編集されたものが多いよう。
明らかに過剰なエコーが掛けられた演奏でも
『いい響きですね』と認可されつつある空気😶
覆面審査の時代からすると、、、
基準判断が逆ベクトルに難しくなっているなぁ
と感じる今日この頃である。