うぬぼれ小僧は避けたくて・・・


一ヶ月程前。。。
赤信号絶賛停止中に、人生初めてオカマを掘られ(^_^;)

人生初、
整形外科で首のレントゲンを撮るという機会があった。


結局、続けて整体施術を受けることとなり、

いわゆる柔道整復師のプロの先生に診て頂いて
自分の身体の状態を客観的に知るきっかけに。。


余程、執拗に聞かれない限り、
ピアノを弾くことは自分から言わないので、

当先生はいまだに私の職業を知らないのだが、、、


肩を触って、びっくりされるポイントがあったり、
手首の可動域や方向に不思議がられたり、と

先生とのお話は、いつも興味関心深い。

確かに、同じ歳のバリバリ会社員のかたやお母さんをされている方と
毎日よく使う筋肉や腱が同じなわけはないので、当たり前のことなのだろうが。

先生の理論を聞いていると、

演奏の作用点となる指、手首、肘の可動の自由性は、

胴体、すなわち肩甲骨(背筋⇒骨盤に繋がるらしい)が根本にある
と考えるのが、やはり筋通り?と思ったりする。

(※肩甲骨から肩で弾きます!という流行の解説動画とは異なる意味)


ブルースリウにしたって、アルゲリッチにしたって
ブニアティシヴィリにしたって

美音を奏でるピアニストの共通点は、
身体にイッポン、ブレない軸が通っているように見える。

って、コレは私だけの幻覚だろうか。。。

話は変わって「言わない」で思い出したのだが、

先日、親友と「肩書き・プロフィール」って、
メリット&デメリットが激しいよね、と語り合う時間があった。
(その親友は、私とは比べようのない超優秀者。頭が良く、社会的客観視できる謙虚さも備える)

すなわち

肩書きというのは、興味関心を持って貰えるきっかけにはなるのだが、
同時にフィルター・色眼鏡にもなってしまう。と。


つまり、正確な耳で聴いて貰えなくなったり、
肩書きが邪魔して、本当に感じたことを言って貰えなくなりもする。
(そういう空気を作ってしまう場合もある)


すると、演者は、現実を把握できず、
裸の王様現象にもなり得てしまう・・・と。

たしかに舞台に立つ側にとって、自信というものは必要なのだろうが、

プロとして死ぬまで必要な自己アップデートが
出来ていないことに、自分だけ気付かないという現実が作られてしまうのは悲劇だ。


私は、大した肩書きがない無名のピアノ弾きだが、

密かにピアノバーで弾かせて頂く際などは
なるべくプロフィールを先に提示しないようにしている。


理由はそれに似ている。

なんの情報もなく、私の演奏や音に興味・関心を持って貰えたのちに
プロフィールを尋ねられた時、

私のなかで、やっと初めての一個目の○マルになる、ということにしている。


歳をとってくると、良い”風”にしか言って貰えなくなりもするから
うぬぼれ小僧は避けたい。


演奏動画の投稿のため、編集アプリもDLしてみたが

このアプリ作った人、ほんと凄いな。。。と思うほど、
動画編集がおきがるゴン太で、なんでもできることにびっくりする。

しかし、強情・頑固な私は、どんな便利な機能があったとしても
今後も、自分の音には、エコー/エフェクトは一切付けないつもりである。

うぬぼれ小僧は避けたい(二回目)
まだまだ続く自己アップデートのために。( ̄^ ̄)ゞ