伴奏(協演者)の拘り


ホールでの本番。
奏者は、客席に座って、自分で自分の演奏、音を聴くことは、一生出来ない。

客席へどのくらい届いているのか、どのように響いているのか。
もしくは、届いていないのか、響いていないのか。

ワープの超能力でも備えない限り、
ピアノから放たれる音を、リアルに受け取る側にはなれない。

奏者に出来ることは、自分の耳を舞台上で鍛錬していくか、
やはり、誰か第三者に聴いてもらい、謙虚にアドバイスを請う事だ。

私は、ソリストをリスペクトした理想的なピアノ演奏=伴奏とは?
をずっと追い求め、こだわりの一つにしている。


最近、趣味とされている大人のかたのチェロ発表会の
伴奏のお仕事を一つ終えた。


フランク・ソナタのチェロ版。
会場でいかにチェロと「協演」できるようにもっていくか、を念頭に取り組んだ。


アンサンブル、を「きょうえん」とするならば、
競演、協演、共演。。。とあるけれど、

あくまで私個人の感覚だが
日本人同士の演奏には、「競演」をよく感じる、気がする。

ともすれば、
相手の音を潰してしまっているバトルというような。。。


その点、お互いの音が交わりながら
まえとうしろの立体的関係性も見えつつ、双方がバランスよく聴こえる、

というのは、ドイツで自然と聴いた記憶がある。
たとえ、音楽があおりあおるような場面でも、こちらは共演or協演という印象。

ふたりのバトルが良かった!という感想も現実見たことがあるので、

これは、どれが正解とかどちらが不正解とかではなく
好みや考え方、とらえ方。

それを前提として、率直に私は、海向こうの影響が大きかったようで、
後者の共演、協演を感じる演奏が、いまも好きである。


今回、発表会という舞台での主役は
あくまで依頼して下さったソリストさんだが、

密かに、音楽が協演できたら♬という気持ちを持っていた。


500人弱の客席を備えた、これまたよく響くホールだったので、

音の立ち上がりに、そもそも楽器の差異があるピアノとチェロという点で
いつもに増して神経を使った。

客席へどのくらい届いているのか、どのように響いているのか。
もしくは、届いていないのか、響いていないのか。である。

会場へ聴きに来てらしたソリストさんのお友達さんからは、

ピアノとチェロのバランスが良く、聴きたい双方の音もちゃんと届いて
素敵だったうんちゃらかんちゃらと、良い感想があったそう。

悪いときは悪いと、ちゃんと言ってくれる人なので、
素直に受け取っています、とご本人論。何よりである。


それにしてもいつも
発表会のようなリレー方式になる演奏/伴奏の場合、

前の奏者の弾き痕が、ピアノに残るのを感じるため、
1音め、鍵盤がどんな反応をするのか、予測不可ゆえの不安が、いつも頭をよぎる。

今回は、当日のホールリハが、ほぼプログラム順だったので、
本番は事なきを得たけれど。

先日のデュオリサイタルには、無い現象。
ピアノという楽器は、とことん面白いなと思う。

私は基本、ソロも伴奏も、いつでもピアノのフタは全開なのだが、

伴奏となると条件のように
ピアノの蓋を半開にしているのを多く目にする。


ある有名なピアニストの個人レッスンを受けた際、

「あーそんなPPが弾けるなら、ソフトペダル使わなくていいね。
 出せないなら、いつも苦肉の策として使うこと勧めたりもするから、、、」

と言われたことを思い出す。

フタの半開にメリットがあるならば、必然的にデメリットもあるはず。

伴奏者のプライドとしては、
メリットを100%得て、そのデメリットはテクニックでゼロにしたい。

そう考えている。