入学試験


ショパン音大の入学試験曲には、
ショパンの舟唄、ドビュッシーの前奏曲、エチュードなどを
プログラムし出願していたのだが、

確か…
実際初めの一曲目は、自分の希望曲を弾かせてもらえるとのことで、
私は、心の中でショパンの「バルカローレ/舟唄」に決めていたかと思う。
(ドイツの音大入試と記憶が混同しているかも…?)

試験前にロマ教授に何を最初、弾きたいか?と聞かれ、
伝えると、何を計算したのか

「(プログラムリストとしては提出するが)

 当日の試験では、
 ドビュッシーを弾くことには ならない(だろう?)」とのこと。

” ほぅ。そういうものなんだ…” (・_・)←鵜呑み。

だが、いざ試験当日、

自分の番になり緊張ながら、予定通り舟唄から弾き始め、
そのあといくつか「○○を弾いて下さい」と指示された曲を
続けて数曲演奏。

「どうでしょう?もうそろそろいいでしょうか?」みたいな雰囲気で

試験官の教授たちが静かにザワザワ言葉を交わして
時間的にも、そろそろ終わり(チーン♬が鳴る)か?と思ったとき、



 “最後にドビュッシーが聴きたい“ (by ロマ教授以外の教授)

と 空気を遮るまさかの 一声。

すると 同じ並びにいるロマ教授が、

”どぶじぇ~! マキ! どびゅっしー ぷろっしぇんばるぞ~!ヾ(^▽^)/”
(OK! マキ! ドビュッシー どうぞ!(弾いてください)+純粋なスマイル)

とかぶせる勢いで即答。 

「っな?!((((;゚Д゚)))))))」


ロマ先生の「弾かないだろぅ...」を信じ込み、心の準備もゼロだった私は、
正直、相当戸惑ったのだけれど(; ̄ェ ̄)

“ だめだ!ここで崩れたら
 審査して貰えるどころか不合格まっしぐらだ “

と昇天しそうな魂を必死に取り戻した。

正直、一小節一小節、
冷や汗が滴り、不安が横切るような状態だったが、

チーン!(終わりの合図のベル)が鳴るまで、
決死な食らいつき精神で、

ドビュッシー2曲弾き切ったことが、
舟唄よりも強烈な思い出として残っている。

あの時は、
若さゆえのエネルギーが運よく重なったのだろうと
今の自分には信じ切れない記憶である。


やがて入学は叶い、
晴れてロマニウク門下生になるのだけれど

それからは、本当に茨の道だった。

確かに最初のうちは、言葉の壁も重なっていたと思う。

ロマ教授は、
英語・ドイツ語・ロシア語も話すことができる人だったけれど、
レッスンは、当然ポーランド語。

アシスタント講師のラミーロ先生(Pan  Ramiro  Sanjines)は、
母国語以外、5ヶ国語くらい話せると聞いたが、
同じくレッスンはポーランド語。

言葉が手に取る様に分かれば、
イバラの悩みも減ったかもしれないが、

明らかにそれだけで解決できるものでもなかった。

兎にも角にも 
ロマ教授が言う言葉で1番多かったワードは

 『ストント(ここから)』

肩、背中にかけての狭間あたり
(専門用語だと肩甲上部というのだろうか)を

大きな手で叩き示して、
何度も何度もそう言うのだ。


私の留学が長きに渡ることになったまず第一の試練は、
「背中・肩(肩甲上部・肩甲骨)の捉え方」だった。