茶色いピアノと引っ越し
引越しを決めたのは、
ショパンコンクールでブレハッチが優勝した直後のことで
ワルシャワの長く暗い冬間近の季節だった。
ワルシャワのヤマハも
勿論日本と同じく新品ピアノは売っていただろう。
中古販売もあったかもしれない。
が、すでに自分の金銭感覚が、
ポーランドの物価にかなり相応してしまっていて、
日本のピアノ、すなわち輸入物は高い(汗)という感覚が
邪魔をして、お店を覗くことすらできなかった。
日本では、市民の味方だったはずのマクトナルドも
(当時の)ワルシャワでは輸入店?のブランド感で
お得なはずのバリューセットが、
(ワンコイン⇒1000円?!)高っ!と感じてしまうほど。
節約したければ、ポーランドプロデュースのものを
チョイスするのが、最速の道。
日本食なんて、スーパーマーケットには置いてない。
私の部屋には炊飯器は無い(笑)
これは
日本人の留学生同士のみのアルアルだったかもしれないが、
部屋においてある備品、電化製品、
例えば、ベットやカーペット、FAX電話etc…
そういうものは、
前住人の学生から譲り受け 中古価格で購入し、
繋いで行くという恒例ルールがあった。
しかし、私が弾いていたピアノは、
前住民のHさんから譲り受けて購入したものではなく、
大家さんの持ち物、つまり部屋の備品という名目の
ご厚意ピアノだった。
大家さんは、次に住む部屋にピアノはあるのか?
大丈夫か?と心配してくれたが、
もうこれ以上お世話になるのは申し訳なかったので
あります あります!と言い、探していることは伏せた。
ピアノが見付からない日が続いた。
電話線で繋げたネットで検索をしても 情報は薄く、
張り紙も 筋違いのものばかり。
散歩中、数軒それらしい店を見付けたこともあったが、
結局、巡り会えなかった。
そんな中、引越し作業は、順調に進んでいた。
細かい生活用品は、全て紙袋に入れ、
何日も掛けて、地下鉄でコツコツ運んだ。
ワルシャワには、バス トラム 地下鉄、
公共交通機関市内乗り放題の定期券があったので、
何回乗ってもok という好条件がありがたかった。
そんなある日の日曜、
モールと呼ばれるクラスの巨大スーパーに出掛けると、
店内のメイン通路が、やけに賑やかになっていた。
何だ?と思って寄っていくと、
まさかの
中古のグランドピアノが4台くらい 他にもアップライトが何台かが
並んでいるではないか!!
全部、蓋が閉まった状態だったが、
各ピアノに、大きさやメーカーが書かれた価格表が乗っていて
「続きはWEBで!」のように、
取扱ピアノ店の連絡先が記されていた。
思わぬところでの
郊外のピアノ店による臨時出店。
しかし、ピアノは期間限定の出張展示販売中ということで、
話を聞きたくでも、店主はそこには居ない。
触れることはできない状態だったが、
その中、気に入る予感がする茶色のピアノが1台。
問い合わせ先の電話番号をしっかりひかえて
日曜のその日は、帰宅した。
翌日、早速電話をしてみた。
事情を説明すると、
店主と別日に、そのスーパーで待ち合わせすることになった。
「その日まで、もしスーパーに行く機会があったら、
蓋は(鍵は)開いてるから、自由に試弾していいよ」
と言ってもらえた。
そこは確かブルーシティというスーパー。
場所が遠く少しお洒落で、頻繁に行くところではなかったが、
お言葉に甘えて、すぐ足を運んだ。
気になった茶色のグランドピアノは、
とても小さく、名も聞かないメーカーのものだったが、
試弾で更に気に入った。
正直、お買い得商品ではなかったと思うけれど、
なかなか巡り会えないこの機会を逃すことはできず
自分がワルシャワを去る時、売却できることに賭けた。
また店主はピアノ販売だけでなく
運送まで自分でやっていることが分かリ、
ピアノを運ぶ際、
最後まで自分で運びきれずにいた寝具セットを
ピアノと一緒のトラックに乗せ、
新居へ運んでもらうという厚意を
購入特典としてゲットすることができた。
そのピアノ運送、約束の日は面白かった。
その日、たまたま思わぬ雪が降った。
私もだいぶワルシャワの風が読めるようになっていて、
その雪を見ながら、「んーこれは期待薄な気配だ」と悟った。
午前の約束だったと思うが、いくら待っても来ない。
時間は過ぎてもまだまだ来ない。
けど、ワルシャワに「予告通り、時間通り」という単語は無い。
そのまま大人しく待ってみる。
一向に連絡はない。
騙されただろうか?というレベルになった頃、
ようやくこちらから電話してみると
「ハハハ〜
今日は雪が降ってるから、行かないよ〜(悪気のない笑顔の感じ)」
やはり・・・ニヤリ( ̄▽ ̄;)
これは、ここでの通常運行。
気にしない気にしない、一休み一休み♪笑
約束は、その流れで、翌日に変更となった。
翌日は、雪が降ることもなく、
約束通り 旧アパートへトラックが来てくれて、一安心。
寝具を乗せ、
無事ピアノと一緒に新居への移動が完了した。
2番目に住んだアパート。
それは、アパートが立ち並ぶエリアで、
最寄り駅に地下鉄がある4階の部屋だった。
建物を遥かに超える大きな大きな木が、
アパートを見守るように立ち並んでいた。
エレベーターは無い。
ピアノ運びの店主にとって、本当に大変な作業だった。
広くない4階までの階段を、木枠をうまく使いこなして、
店主と部下の2人で運び上げた。
部下と言っても、見た目も若い少年で、
「この子は、今一生懸命仕事を覚えてるところなんだ」と
店主が言っていた。
店主と共に、本当に一生懸命、熱心に仕事をしてくれて、
御礼方々、日本の即席わかめスープを作ってあげた。
(お湯を注ぐだけだが。笑)
寡黙ながら、美味しいと微笑んでくれた。
その中、兄弟がたくさんいるということを聞かせてくれたので、
日本から持って来てとってあった駄菓子と
その同じわかめスープをお土産に、とプレゼントした。
茶色のピアノは、
4階の小さな部屋にぴったりだった。
私のファーストアパートは、
いろんな音がした。
すぐに霜がいっぱい付く冷蔵庫の電気音。
誰かが呼ぶとカックンという鉄の始動音が大きく響くエレベーターの音。
怒鳴られてぶっ叩かれてしまった扉の音。
そして、
アナログ・ラジオ放送で聴いたショパンコンクール、ファイナル最終日の音。
色々な音の思い出があったその部屋に感謝しつつ、
親切な大家さんに感謝しつつ、
新しいアパート、新しいピアノでの生活が
スタートした。