一般現地学生が見たショパン国際ピアノコンクール2005


“ポーランドは、双子が多い“ ということを聞いていたけど、
当時のポーランド大統領カチンスキー氏もそうだった。

(一卵性双生児のそっくり。テレビで2人が並んでいるを見た時は、
 画面が二重になったかと思ったくらい。笑
 双子の大統領で、ぜひご検索を。)


彼は、2010年4月に
ロシアで行われる予定だった式典に向かう
政府専用機の飛行機墜落事故で亡くなった。

その年は、ショパコンの開催年でもあった。

ポーランドの大統領選挙も
ショパコンと同じ年、5年ごとに行なわれている。

2020年のショパコンは、
コロナ禍で開催が今年(2021年)に延期となったけれど、

大統領選挙は、
感染隔離者のための郵便投票、投票所の閉鎖etc対策され、
決定されたいう事を後から知った。

2005年のコンクールは、ブレハッチが優勝。

あの年は、確か事前の書類審査などは無く、
誰もが予備予選を受けることができた。

それ故、名が知れた日本人だけでなく、
「記念で」と言ってエントリーする現地日本人学生も多く、
結果、大勢のコンテスタントが臨んでいた。


私は、
受けるか否か悩みもしない、鑑賞専門の現地留学生。

だが、2005年の秋くらいになると
奏法に悩み絶賛継続中でありながらも、

自分の中での分析も重なってきて、比例してやや耳も訓練され、
(今になると、それもほんの始まりに過ぎなかったと分かるのだが)
その時点なりの、こだわりみたいなものができていた。

それゆえ、
暫くの間、数々の素晴らしい演奏を生で聴けたあの期間は
本当に有意義だった。


しかしながら、帰国して思い出話になると、
日本に全く伝わっていないエピソードがあることも知った。


2005年の予備予選が、コンテスタント多数になり、 
必然的に会場も同時に多数必要となったため、

チェントルム(中央駅)にある宮殿まで、
予備予選会場の一つとして使われていた。

宮殿といえば、ドラマ「白い巨塔」で、
財前教授(演:唐沢寿明氏)が、ポーランドの教授たちと
初めて会うシーンに撮影で使われた建物である。


聞いた時は、

えええ((((;゚Д゚))))))) 
あんなビンビン(異常に)響くだろうところで?!

と正直、びっくりした。


審査員には、
ヤシンスキ委員長始め、パレチニ氏、ダンタイソン氏、
故中村紘子氏、スメ様/故スメンジャンカ先生らが名を連ねていて、

アルゲリッチ女史の名前がその年に限って無かったのは、
後記するドンヒョク氏が出場してるからではないかと
憶測が流れていた。

バルコニー席をゲットできると、
審査員の審査の雰囲気が見れる醍醐味もある。

しかし残念ながら
スメ様は入院のため、当日は欠席だった。

個人的には、
ダンタイソン氏の審査姿が一番印象深かった。
(ここから先は、お口はミフィーちゃん。笑)


現地にいると
コンクールのいわゆる内事情というのは、
どうしても色々聞こえてきて、

一般留学生の私は、正直、
ありゃま、そうなん?へぇ〜(( °ω° )) 
と思わされた事も多々あった。


アニメ「ピアノの森」に出てくる話の中で、
コンテスタントの演奏順番が変わるエピソードがあるが、
2005年の時でも実際あった。

韓国人のリム兄弟が揃ってエントリーしていたのだが、
順番がアルファベット順のため、兄弟連なってしまう。

ということから、変わってもらったという経緯を聞いた。


このエピソードは後々話題になったかもしれないが、
その兄弟の弟、ドンヒョク氏がファイナルで演奏の際、

事前にピアノ調整した調律士が、大事なマイ道具をピアノの中に入れたままにする
という事が起きた。
(ドンヒョク氏出番の前に休憩=調律タイムがあり、その際、工具を入れたままにした)

確かコンチェルト2番の1楽章を弾き終わった後、
ドンヒョク氏がピアノの中の違和感を指揮者に訴えた。

中断となり点検すると
すぐ中から工具が出てきたらしいのだが、

ドンヒョク氏は、そのハプニング後にも関わらず
2楽章からまた素晴らしい演奏をすぐ再開させたのには、
心からの拍手だった。


今年2021年は、アニメ「ピアノの森」の影響か
ワルシャワコンクール鑑賞ツアーは高額で、
チケット入手も困難らしいが

あの頃は、入場券も当日券が普通にあり、
ホール前でズラーと並んで待って買うという方法を取っていた。

窓口が開くまで、あの狭い玄関口に長々並び待つのは、
なかなか大変だった思い出がある。

結局、ぶーちゃんブレハッチ氏が優勝でポーランド万歳。

日本人も当時音楽院学部生で、ピアノだけでなく
人間も素晴らしい山本貴志君が4位に入って万歳。

他にも日本人大活躍で万歳。

私的に関心深い演奏だったドンヒョク氏が、
お兄さんドンミン氏と兄弟揃って3位。2位該当者無し。

だが、
5年後の2010年のファイナルは、日本人の名前を見ず、
ロシアの風が吹いた。


が、この風も、2005年時点で
すでにドンヒョク氏が起こしていたんじゃないかと感じる。

ドンヒョク氏は、モスクワ音楽院でレフ・ナウモフに師事し、
すでに黄金の手を手に入れたと評された韓国人だった。


ショパコンは、日本人の参加が非常に多い。

ワルシャワのエリク・リピンスキ風刺画博物館に
それを皮肉った一枚があるようだが、

今年の参加の傾向は、
よりそれを実感させることになりそうだ。