ピアノ奏法 その3 〜 重力奏法〜
「重力奏法(=重量奏法?)」
最近、脱力というワードに並んで、注目されているものの一つのよう。
たまたまなのだが、現在
ピアノ奏法の一考と称された「重力奏法による奏法」という小冊子を持っている。
これは、
ワルシャワから一時帰国した際に手に入れたものと記憶しているので、
おそらく15年は昔の発行物で、
この冊子の著者である先生と当時電話でお話をしたのを覚えている。
私が留学中で
奏法のことについてヨーロッパで勉強中である旨を伝えると、
かなり長時間、
ご自分の「重力奏法」のご見解について熱心にお話しくださった。
正直、その時点、私の体感やお悩みポイントと
がっちり合致する感触は得られなかったのだが、
当冊子と付属のCDは、今まできちんとセットで保管していた。
(おそらく自費出版された著作のものになる)
重力奏法は、今では動画で検索すれば沢山紹介されていて、
書籍でも背表紙にこの言葉を飾っているものが出版されている。
それによると
“腕の重みを乗せる“とか“身体の重みを乗せる“などの表現が多くみられるが、
こちらの冊子のベース内容でも
“手の重みを使った重力奏法“と題されていて、方向性は似ている気がする。
電話でお話をした時は、自分と違う可能性があることも示唆し、
その後またすぐポーランドへ戻ったのもあって、
その小冊子の中の文字の記憶は、
その後、頭に置いてなかった。
冊子に目を通し、結果であるだろう音(CD)を聴いて、
おそらくその時点一番知りたいと考えていた事象を
こちらの奏法の中に感じなかったからだろうと、昔の自分を推測する。
改めて15年経った今聞いてみると、
弾き手の感覚として、一種の安定感みたいなものを感じていそうな
一定の揺るぎない音量が常にあるように聴こえた。
このように重力奏法なるものは以前からあり、
現在では、当然ながら
先生によってやや表現の違いや解釈の違いも出ているよう。
肩は脱力で、支えは腕の下側の筋肉。とか
手の中に支えを保ち、身体や腕の重みをかける。
または、腕が常に脱力状態でロープのようにしなやか。 など様々。
ロシアピアニズムというものと関連があるものは
椅子が高いことも特徴にあがっている。
いずれにせよ
奏者が楽と感じるならば、理に叶って身体が使われている状態なのだろうと
思われる。
指先だけのアプローチから脱却できず弾き辛さを感じていた場合、
重力奏法は、身体がより楽に感じる奏法になるだろう。
例えば
人は抱えている荷物を運ぶ際、わざわざ荷物を肩より上に上げることはせず、
通常「楽」に重力に逆らわない方向を選ぶ。
よって、鍵盤を操作する際も、
重力の方向に逆らわず、自然に落ちる力を利用するのは、
理に叶ったものだと考える。
「腕の重みを使う」という表現に関しては、
ドラマの朝顔先生(フジテレビ/監察医. 朝顔より)しか、
腕の重みは量れないはずなので、笑
水が高いところから低いところへ流れるというような
重いものが移動する自然落下をイメージした力の比喩かな…と思っている。
腕は下向きにかけて手を先端に接続されているし、
身体の傾きも下向きになれば、楽に感じるのは合理的。
この重力奏法に肩から弾くというワードが付随するものもあるが、
背中から力を押し込むことを意味していたり、ただ支点を示すものだったりなど
これは内容が枝分かれしているよう。
私も肩は支点に考え、共通点はあるけれど、
自分の体感しているものとは方向が違うようで、どれも別の印象を受けた。
要は、自分の身体に合った奏法のカスタム道だ。
こうしてさまざまな見解が有ることは、
関心深くつくづく面白いと感じる。
人間の体は全部繋がっているので、
ピアノを弾く時、指を使う場合(近現代の曲では顎を使う曲もあるので)
誰もが順に繋がった順番で全て使って弾くことになる。
無意識に全身の筋肉を使うことは誰でも一緒で
そのつながりをどう駆使しているかが、それぞれ違うということだ
と私は考えている。
(続く)