ショパンの国から 3大Bの国へ その2
(その1の続き)
この2本のDVDはポーランド語のために買ったもの。
リーサル・ウェポンは、ポーランド語で「Zabojcza Bron」
殺人兵器という感じの意味になるのかな…
この俳優陣の中では、悪役のジェットリーもまだ随分若い。
「ガーフィールド/Garfield」は、
おバカさんなガーフィールドのセリフ がそのまま直訳されてユニーク。
お値段は当時1本64.9ズロチということで日本円で2000円くらい。
ポーランド人からすれば6000円くらいの感覚に相当する贅沢品。
シュトゥットガルトからワルシャワに帰り、
入試のプログラムと並行して、ドイツ語の勉強のスタート。
語学が得意ではない私。
語学学校に通う余裕が無かった矢先、
アパートの階下に住んでいたファミリーの長女マリーシャに
毎週2回ほどドイツ語を教えて貰えることになった。
(そして交換で私が彼女に日本語を教えるという約束。汗)
彼女が階下からやって来て、
ポーランド人の好きな紅茶とド定番お菓子「デリチア」で
迎えた。
ショパンが好きだったというお菓子「ピエルニク」
と少し似ている、どちらも甘いお菓子。
スーパーにいけば必ず置いてあるそのお菓子を食べながらの
緊張感無しリラックス会話教室は、
ポーランド語とドイツ語の混沌で笑ってばっかしだったが、
ワルシャワ最後の時期に、
隣人ファミリーの彼女と時間を過ごすことができたのは
幸せだったと思う。
ドイツ語は第二外国語として
日本の大学時代にも履修したはずだったが、
いざ始めると全く記憶に残っておらず、ほぼ1からの勉強になった。
ラトゥシインスキー教授は、かつてショパン音大の教授をしていたのだが、
シュトゥットガルト音大の教授をしていたヤシンスキー氏がポーランドに戻る際、
引き抜かれる形でその後を継いだらしい。
私と同じ頃にポーランドへ留学に来た数少ない日本人の友人たちが
笑顔で日本へ帰っていくのを何度か見送ったが、
今度はいよいよ自分がポーランドを離れる。
思い返せば
ポーランドに来て早々、知らぬ間に日本へ帰っていた子に
驚かされたこともあったけれど、汗
それぞれの目的を果たして
それぞれの思いを込めた数年が経っていた。
そして
私も新たな国への旅立ちの日がゆっくり近づいていた。