重力奏法と日本舞踊


夜中の番組で、時々見るバレエ公演。

声、セリフのない世界に溢れる表情、表現は
本当に心底美しい…といつも感じさせられる。

去年試聴した
ロシアのバレエ学校「ワガノワ・バレエ・アカデミー」で学ぶ
男子生徒さんたちに密着したテレビ番組。

その中で校長先生であるニコライ・ツィスカリーゼ先生の言葉が
どれも深く、

ピアノにも通じるのではないかと率直に感じるものばかりだった。


男子生徒の中に、日系ハーフの子が居て、
練習熱心な真面目な性格な上、人柄も素晴らしいところも
紹介されていた。

そんな彼は成績も優秀で技量ももちろんなのだが、

校長先生は、
彼のバレエと、ロシア人の同じく優秀な生徒のバレエを指して、

「日本🇯🇵は、“ズン”⤵️   ロシア🇷🇺は、“ラ〜”⤴️ なんだ」

と説明する場面があった。下向き、上向き。


悪いと言ってるのではなく、どうしても生まれ持った国柄で現れる
民族性の特徴のようなものという意味合いに感じた。

舞踊家の先生のお言葉で
「日本舞踊の重心は、下へ下へ」というのを目にしたことがある。


ガッツリ素人目からすると、日本舞踊は足が摺り足のように見え、
斜め下への身体の傾きのイメージが浮かぶのだが、

ここで頭をよぎるのが、重力奏法だ。

重力奏法を謳っている日本人の先生方の解説を伺うと
体重をかけるとか腕の重みをかける…etcと表現されるものがあるが、

素直にそれを聞くと、
私の中にできるイメージは下向きのベクトルだ。

日本舞踊もバレエも体幹がしっかりしていなければならない部分は 
重要で同じなのだろうけれど、

どちらにせよ日本人の素質は
どうしても必然的にコトを下向きに捉えやすいのではないかと。

無意識に下向きの素質が出てしまう。

重力奏法も結局
先生によって様々あるのだろうと感じているが、

特にその中、下向きに捉えることをベースにしているものは、
日本人の素質に向いていて、

画期的に感じやすい奏法なのかもしれないと考える。


西洋舞踊、バレエは、
常に上に上に、床についていない時間が一層美しい。

あくまで感覚的なものだが、
ロマニウク教授はじめ、ヨーロッパの教授陣から
下向きに乗せる指導を受けた記憶は無い。


私は足も短い平たい顔の生粋の日本人だが、
自分が弾いているイメージとしては、正直バレエの方が近い。

生まれ持ちの素質は下だろうから意識改革の末での感覚だと思う。


解放された指先には自由がある。
表現の幅は自分の研鑽で広げられる。

人間の指先の皮膚感覚には沢山の意識ができ、
またそれぞれ 指というものの独立性は意外なもので 
それぞれ繋がっている根源が違うということ。

これが最近の私の中の、ベストブームになっている。