過ぎし日シュトゥットガルトの思ひ出。その1



シュトゥットガルト学生生活で感じたこと。 

まず思い出すのは、当時の物価高だ。 
今はユーロがだいぶ落ちてしまったけど、 

私が居た(15年程前になる)頃は、1ユーロ=180円で、 
家賃の支払いだけで生活費がぶっ飛んでしまう相場だった。 


シュトゥット音大の費用は、 
たしか月約1万円負担の計算だった記憶があるが、 

ビザ取得に必要な外国人としての保険は 
それより幾分高かったと思う。 


ビザ局の対応は、先進国。 


取得希望をビザ局に申し込むと、
のちに申請日時と場所のお知らせが封書で届く。 

つまり事前に予約が取れるシステムだ。

ポーランドのように開局前から外で並び、 
順番が来るか否かと長らく待つようなことは無い 。
(さすがに今はそんな事はないだろうけれど)

ポーランドでは大家さんに付き添いを頼むのが常だったが

ドイツでは毎度ドッキドキしながらひとり
局へ挑んで行ったのが懐かしい。


またシュトゥットの場合、 
ドイツバンクに貯金高をそれほど持っていなくても 
指摘を受けなかった気がする。 

これは、のちの引っ越し先になるデュッセルドルフとは
大きく違った点だ。 

州ごとの違いのためか、 
もしくは担当のお兄さんがすこぶる優しかったからか
分からないが、 

一発パスとは行かなくとも、頭抱えるような問題は起きず、 
シュトゥットの学生ビザは出して貰えたと振り返る。 


ポーランド料理は好きなものが沢山あったが、 

ドイツ料理は、
私がお酒を一滴も飲まないから余計に? 好みのものがなく、
独料理レストランに行ったという思い出が無い。 

シュトゥットはベンツの会社がある州のためか
裕福な町並みが見られ、 

大学も先進的な立派な施設だったので、学食も広く綺麗だったのだが
あまり食事に利用した記憶は無い。 


ドイツは、ポーランドと違って学生ビザであっても 
MAX400ユーロくらいまでの条件で、アルバイトが可能だった。 

最初の頃、中国レストランでピアノ弾きのバイトを少しやった。 
経営者は中国系のアジア人の方だったが、
スマートな対応で親切だった。 

大学の方は、Prof.アンジェイのレッスンが 
毎度自分の奏法を客観視して深く考えられる機会になっていた。 

シュトゥットガルト音楽演劇大学が、
いわゆるハイフィンガー奏法と言われるものの 
発祥の地と言われていることもあってか、 

ポーランドの大学との風の違い、求められる音の違いを 
どうしても感じざるを得なかったことは 

私にとっては大きな学びになったと振り返る。 

それはその違いを教授陣が明確に言うはずもないことで、 
あくまで自分の中で得た感覚だが。 



時は瞬く間に過ぎていき、 

やがてアパートの家主さんであるご家族が
フランスから帰って来る時期が 迫ってきた….    続く