ファツィオリ家 の ファツィさん
私は留学からの帰国以後、ずうーっとずぅ~っとずううううっと
自宅のピアノに悩み続け、
実は、このブログが止まる前、心中限界が来ていた。
正直、国産の有難い機種だったのだけれど、
色々調べてみると、同じ機種でも製造年によって大きく違いがあり、
車でもよく言う、”あたりが悪い年”があったようで、
つまりどんぴしゃハマリのものだった。
ひとことで言うならば、
まず、鍵盤のダウンが60g以上の難あり、3日掛けての調整を施しても
直しきれず、メーカー直々の技術者が手を掛けても、
基本寄りにすらできなかった。
留学前のゴリ弾きならば、訓練マシーンとして戦えたかもしれない。
自戒ながら言えば、昔の自分では、そのマイナスが分からなかった。
そして帰国後は
”じゃないじゃない、そうじゃ、そうじゃなーぃ by鈴木雅之”
のリピートにしかならなくなっていた。
とにかくピアノのアクションの反応が、ずっと反抗期。
ダウン(&アップ)の過剰な不揃いを感じて仕方ない。
分かっていながらもそれで練習を重ねると、
調整の揃ったピアノを弾いた際に、ファーストコンタクトで酷く面食らう。
ローカルコンサートなどで、
たまに管理が行き届いたフルのスタインウェイを弾かせて頂くと
やっぱり、だよね、普通そうだよね、(うちのは。。。↘沈)と感じていた。
悩み困り、はや10年近く。
必ずこうした機会では大きな差異にぶち当たったがゆえ、
頭も感覚も、より敏感になったり、意識せざるを得なかったとも言える。
中古ピアノが大集結しているお店に遠路出向き、
高評価時代の中古スタインウェイを試弾したり、
同じ国産機種の製造年が後ろのものを探して弾きにいってみたり、
ピアノショールームに行って、
店頭のフルコンから最小サイズまで、全種試弾させて頂いたり。
自分の感覚が間違っていないか、と様々なピアノを前に自問した。
知識を駆使し、情報が手の中の感触に見えていくほど、
自宅のピアノに先が見えなくなり、
お別れするしかないないだろうと考え始めた。
アクションの総入れ替え=オーバーホールも考えたが、
これは技術者さんも、一種の大金の賭けだと言った。
残念ながら、ここではギャンブラー気質は発揮できなかった。
これはまだ2021ショパンコンクールが始まる前のこと
まだずいぶん暑かった頃のことだ。
一歩、歩み出すと、堰をきったように事態が動きはじめた。
ショパンコンクール2020の配信に釘付けになっていたころ、
私にとっては、試弾のための2回目の上京を決めることとなっていた。
世界で一つしか無い手作りピアノは、
私にまだまだ続きがあることを教えてくれた。
ファツィオリのアクションの違いに感動したその奥深さは
想像以上。スタインウェイとも明らかに違う。
どのメーカーのピアノもそれぞれに学べるものがあると思う。
むしろそれは、学ぶ側の姿勢次第で大きく変わるだろうとも思う。
しかし、、、
ファツィオリと共に暮らすことでしか、
身につけれないものが有ると言ってしまっても、過言ではない位だと
正直、感じた。
留学した23歳から悩み通し、帰国後もシワと共に悩み重ねていなければ、
このアクションには反応できなかっただろう。
でも、ファツィオリに皆が皆、同じ感触を感ずるわけではなく、
同感想を抱くとは限らないとも想像する。
「いい音がする」
確かにそうだけれど、いやいやそうゆう端的なことではなくて。
そんな単純な楽器ではないと思っている。