淘汰されていく奏法


最近出演させて頂いたコンサートで、
また自分にとって貴重な自己アップデートがあった。

前日のホールリハーサル、当日の本番の2日連日、
一人のベテラン調律師さんが、常にホールに居て下さったのだが、


リハーサルから、ひとり色々と頭を巡らしてしまっていた私に、
客席側から、また舞台袖でと、

的確なアドバイス&感想を随時くださった。

「昨日より今日の方が、ココの○○が良くなってる。何を変えたの?」etc

文字におこすなら。。。
その中、私の身体とそれが、頭の中でぴーんと繋がって
自分の感覚として、ひとつ確かなものが身体に蓄積された。といった感じである。

演者は、客席で自分の演奏を一生リアルで聴くことが叶わない。

だから、本番前、
客席側の印象をその場で聞かせて貰える事も、もの凄く貴重だ。

調律師さんが優しいかただったので、
調子こいて、私からあれやこれやと質問攻めしてしまったかも?だが、

二日に渡って、客観的なご助言と自己との摺り合わせができたことは、
非常に大きかった。

この歳になると、なかなか本音を言って貰えなくなるのも、現実だから
なおさらなのである。

意識⇒解析⇒自己分析⇒結論。

若かりし頃は、まあ身体がよく動くパフォーマンス演奏だった(と思う)。
楽譜も、ろくに読めていないのに、押しのド演歌調というか。

でも、見た目も重なって一瞬分かりやすいので、
客席には、ウケてしまったりする。ああ自分勘違い。苦笑

ちなみに、今それを故意にしようすると、正直しんどい。
若いって素晴らしいことなんだ、、、とつくづく。

年老いても弾き続けられる奏法。

上半身の軸のポジション、今私のブームになっている。