ショパンは、美しき孤独の一人称


スコア(指揮者さんが使用する大型版楽譜)を見ながら
交響曲を聴くというのが、密かな最近のマイブーム。

(スコアが読めているわけではない、あくまで目で追いかけているというレベル)


際立つメロディーだけでなく、同時に

それを支える(というのが合っているだろうか?)ファゴット、コントラバス、、、、
など、様々な楽器の旋律を譜面上で見ながら、聴く。


まずベートーヴェンとブラームスなどの交響曲は
全曲通ってみた。

すると、あらためて感じることが。

ブラームスのピアノソロ曲を弾くと、オケの感覚で音楽を捉えることができるのだが、
ショパンの作品に限っては、どうしても「一人称」に着地するのだ。


これより以前に、ショパンの有名な遺作ノクターン等を
ヴァイオリンソロ版に編曲したものをピアノ伴奏したことがあったが、

(原曲を先に通った私は)たしかに
伴奏しながらも、どこか腑に落ちない感はあった。

それを更に確定してしまったかのような感覚というのだろうか。


たしかにノクターンは、メロディと伴奏で、
大きくみれば、2者的になっている。


しかーし、それは、同じ奏者から生まれたものでないと、
ショパンの場合は、絶対的な完成に至らない。

内声外声メロディーが幾重にも成っている作品であったとしても、
それが、一つの魂から生み出たものでないと完結しない気がするのだ。

メロディと伴奏が、同じ音質、音色でokという意味では、絶対ない。
むしろ、脳みそが最低三つある感覚でないと、美しくならない。

しかし、それを操るのは、一つの楽器から発声されたもので、独りでないとならない。
だからショパンは、難しく面白く奥深い。そう感じれてくるのだ。

これはショパン音大のプロフェッサーが言ったのでもなく、
なにか読んでとか、誰かから聞いたのでもないので、

あくまで自分の中だけの感覚。それゆえなんの証明もないモノだけれど(; ̄ェ ̄)

ショパンは、美しき孤独な、多色奏者。そんな気がするのは、私だけだろうか。。。。

(でも今、車中のBGMは、
 絶賛、ショパンのチェロソナタ。笑。矛盾かー?っっW)