マスター課程の試練


ドイツで通うことが叶った一つ目の大学は、
ハイフィンガー奏法の発祥とも言われているシュトゥットガルト音大。


だからといって
レッスンでハイフィンガーを教わるわけではないし、
いろんな教授がいるので、皆 思想や流派が共通なわけも無いのだが。。。


やはりどこかニオイや校風というのは、なんか感じるもので。


好まれる音色や構成、スタイルというのが
ショパン音大とは違うものがあり、

国によって、言葉の周波数が違うように

ピアノに対する耳の使い方、
聴覚的に聴く音の範囲が違うんじゃないか、、、という気もしていた。


私がついた先生は、特にバッハを大事にする教授で

しかも私に限っては、入学して間もなく
ショパン禁止令(ショパンの作品から離れるべし)も出されていたので、笑

ドイツでのレッスン曲目も、大きく色変わりした。


これを新鮮に取り組むことができたなら良かったのだが、
現実は、奏法の多様にぶつかり、自分の頭の中がさらに混乱し、、、

挙げ句の果てには、先生に、
「マキは、何をそんな考えているんだ?悩んでいるんだ?」と聞かれたりと、

鍵盤の前に座っても、鍵盤に触れられず
レパートリーも思うように増えない状況に陥っていた。

自分と同じ学期で入学した留学生には、他の門下を含めても日本人が一人もおらず、
代わりに優秀な韓国人が沢山いた。


同じ門下の韓国人は、すごく心が豊かな子ばかりで超フレンドリー。
ピアノはパワーもあり情熱的だった。


純粋に、すげーなー(@_@)と
自分との違いをひしひし感じて、自分を見失う毎日。

 

ショパン音大の研究科とドイツのマスター課程は全く別なものだったため、
いわゆる学科の必須単位数も、えげつなかった。

つまり、早口のネイティブのドイツ語が飛び交う授業を受け、

最終的には、ドイツ人の学生に紛れて
発表なり、レポート提出なりをいくつもクリアーしなければならない。


授業を全部出席したとしても、
結局単位を落としてしまう可能性はあるわけで、

つまり、取得単位不足で卒業不可になる(卒業資格が無くなる)危険性もあった。


語学が苦手だった私は、まさに藁をもつかむ思い。

学科以外でとれる単位がありそうならば、
できるだけ確保しておきたい考えと、副科扱いで、歌の実技授業も取った。

担当教授は、
すごいおなかと喉をしていることが外見からアリアリと分かる韓国人の男性の先生。

日本の教育大時代に、副科での履修が長く必須であったため、
昔は、ビブラートをつけて歌っていたが、まさにTHEブランク。

ドイツではなんとも情けない歌しか歌えなかったが、 
優しい韓国人の先生のお陰で、無事単位は取ることが出来た。


思えば、発表会みたいなものも、ちゃんとやった気がする。
ただ何を自分が歌ったか、まったく記憶が無い。(ー∀ー)爆。

ドイツでアジア人が歌の教授になるというのは、凄いこと。

その先生は、顔はがっつりアジア紳士だったけれど、
身体と喉、技術が、本場ドイツ人も認めるものを備えていたんだろうと振り返る。


日本人と大陸人とでは、元々口の構造が違うんだ

ということを先生が仰っていて
妙に納得した記憶がある。


ホルンで留学していた日本人の子も言っていた、

「口の使い方、身体の使い方が違う」と海外に来て、早々に教授から言われたと。


和楽器以外の楽器、オペラも、西洋のものだ。

日本の延長で、のんびりいられるわけがないのは、
ピアノに限らないんだなぁ、と感じる毎日だった。