ロベルト・シューマン音大への道 その1
シュトゥットガルト音大修了に必要な実技以外の単位は、
必須単位数以上に保険を掛けて講義をとっていたのもあり、
焦る心配なくクリアとなった。
たしかに授業/講義は、ポツンとアジア人で寂しくとも皆勤で出席したが、
私が提出したレポート類は、全て
ドイツ人のルームメイトたちの優しさが半分以上占めていると言っても
過言では無い。笑
皆、音大生でもないので、きっと意味がよう分からん内容だったろうにも関わらず、
快く付き合ってくれたお陰で、単位取得できました。。。。と感謝は今もぶり返す。
あとは、
卒業演奏会を開き、教授陣の審査=卒試を受けることで、完了。
それと同時に、その先どうするかを決断しなければならない。
持っている学生ビザの滞在期限は、卒業と同時に切れてしまう。
つまり、帰国か否か。
卒業演奏会でお客様に配布するプログラムは、自分で準備するシステム。
好きな蝶々を自分で挿絵してデザインしながら、悩んでいた。
まだ自分は、己のピアノの混沌からの出口が見えるどころか
入り口を少し進んだに過ぎない場所に居る。
自分の手の中に何も無い感覚での帰国。
過剰な誇りや自信というのは、大嫌い。
しかし、必要最低限、最低限必要な何かさえ、
ゼロというのも、恐怖だった。
ドイツの音楽大学は、教授陣の演奏や音源を
ホームページで載せているところも多かった。
しがらみ無し子の私は、いつものごとく周りに相談することもなく、
自分の感覚でひとりで決めることが、相変わらずの通常運転。
生音ではなく、信号に変換されたネット上の音だけれど、
教授陣の音を聴ける限り頼りにして、新たな先生捜しを同時に始めた。
そこで出会ったのが、
最後の大学になるデュッセルドルフで教鞭をとっていたG・F・シェンク先生と
カールスルーエの教授である。
デュッセルドルフは、シュトゥットガルトから北に位置し、
カールスルーエよりも、かなり遠い。
私は、いわゆるVorspiel という
受験前に先生にコンタクトをとって演奏を聴いて貰う という
ドイツ音大受験あるあるのアクションをために、まずメールを送った。
コネクションやしがらみが皆無というのは、
こういう時、「知らないって、凄いね!」という逆の力を発揮する。
その時、エフゲニーボジャノフ氏(↑ワルシャワ時にすでに動画では聴いていた)の存在は
知っていたのだけれど
彼が学生としてデュッセルに居ることに気付いておらず、
更にシェンク門下生(ゾリステン)であったことにも、私は気付いていなかった。
何も知らずして、
「わ~!この先生、魅力的だ」とシェンク先生の演奏動画を純粋に拝聴し、
なんの恐れもなく、私はメールを送ったのである。
本当に、何も知らないという強み100%のみのアクションだった
と、今も思う。
シェンク教授は、本当にあたたかい先生だ。
突然来た 誰かの紹介でもないジャパニーズからの
つたないドイツ語のメール文であったに違いないが、
すぐ返信が来て、Vorspielの日程が決まった。
が! 前日、困ったことが発生。
いよいよ明日だ~(;´Д`)、というのに、
体調良好で風邪でもないのに、声が出ない。
食欲も変わらず、身体がすこぶる元気なのに、
本当に声だけ全く出ないのだ。
先生の前でVorspielとして、
ピアノで弾いて音は聴いて貰えるが、会話ができない。
つまり、耳は聞こえるので、先生からの「受け」は可能だが、
私発信の「答え」が不可になってしまう。
うむ。。。。よし、これは、筆談セットを作るしかない!
小学校で図工が大好きだった私は、
ドイツ新幹線の移動時間もマックス使って、
まず右手と左手に持てるYES・NOスティックカード
そして、会話内容を予想して、ADさんが持つカンペのような
台詞テロップをA4厚紙で幾通りか製作し、
できるだけ先生との会話が滞りなくスムーズになるよう、
声出ない分の補足アイテムを準備した。
予定通りに到着した私を、
シェンク先生は、満面の笑顔で出迎えて下さったが、
私の声が一切出ないことに、なっ!!驚((((;゜Д゜)))))))
だが、私のお得意ジェスチャーと準備したカンペで
身体はすこぶる元気なのだ♬ということをすぐ理解してくださり、
Vorspiel。
たしかまずハイドンのソナタから弾いたと思う。
広いレッスン室の真ん中で、ひとりド緊張。
きっと自分のパッションのまま、理解浅く
良く言えば感じるまま素直に弾いてしまっていただろう。
ただ緊張ながら、
綺麗な音を意識して弾きたいという気持ちだけは
心中に忘れてなかった記憶がある。
なんとか弾き終わると
「あなたのピアノは、お話している、喋っているみたいで気に入った」
とエンジェルスマイル。
Vorspielというのは、演奏だけでなく、
その子のいろんなところを先生たちは見てるんだ、と誰かが言っていた。
たしかに
私が自家製YES・NOカードを意気揚々と持参し必死のジェスチャーだったことが
シェンク先生にとって、すこぶる珍しく面白かったのかもしれない。
当然、私のような技量で
デュッセル音大のピアノソロのゾリステン受験をしても、
自爆行為にしかならないことだけは、重々承知していた。
シェンク先生は、ピアノソロだけでなく、室内楽・ピアノ伴奏の重鎮でもあり、
つまり、そのコースでの受験を私に提案してくださったのだ。
とは言っても、これは、合格は意味していない。
あくまで一歩前に進んだだけ。
しかし、闇雲ではなく
デュッセル音大を受験させて貰える可能性が見えたこと。
涙が出るほど嬉しかった。
ーつづくー