ドイツ・デュッセルドルフLIFE



シュトゥットガルトは、ゆとりのあるベンツのまち。
音大の施設も近代的なデザインの裕福なつくり。

練習室は、IDカード?で予約&入室が可能。夜中も練習できた。


それに引き替え、
(当時)デュッセル音大は、コンピューターシステムはまだ未導入。

練習室の予約は、受付の人を介した記入制。
夜はたしか12時まで使用可(ギリギリ終電で帰る時間)。


最後のレッスンが終わったプロフェッサーが、よく
「マキさんこの後使いますか?」と声を掛けてくださったのが懐かしい。


朝は、6時から門が開いて入校できるが、練習室の確約は無い。

鍵が空いている部屋を見付け忍び込み、
その部屋の午前レッスン=プロフェッサーが来たら、撤退。

もし、その日その部屋の授業が、たまたま休みだったらラッキー。


シュトゥットガルトでは、日本人学校の先生のお仕事をさせて頂いたが、

デュッセルドルフでは、
長期滞在型ホテルの掃除のアルバイトを2年間やった。


部屋担当とバス・トイレ担当の二人体制で上階から下階をやっつけていくのだが、
私は専らバス・トイレ担当。

平均して15~20分で、バストイレルームを
ひとまずピカピカにするスキルを身に付けた。

人生で、トイレットペーパーを三角折りした数は、
ピアノ弾きの中では、上位に入ると思う。爆笑。

ファストフードのバイトに比べると、時給が良かったので

バイト仲間は、隣町の音大生や、デュッセルの普通大学の方の学生、
学生に限らず主婦のお姉様もいて、仕事に慣れてからは一層楽しい職場だった。



シュトゥットガルト音大はソロ課程だった為、
あまり他の学生と絡む機会が無く、知り得なかったのだが、

デュッセルは、室内楽・伴奏課程だったためと
学校の雰囲気がファミリー的だったため、

ピアノだけでなく、歌も弦楽器も、、、と
気付けば、優秀な学生達が、学内にウジャウジャいることを知り、

純粋に、(@_@)すげぇ~ とよく思っていた。


チャイコフスキー国際コンクールの優勝者が
普通に、コンクール直後、大学の学食にいて

知り合いじゃないのに
「おめでとう!」と声を掛けて、「ありがとう♬」という
コミュニケーションが普通に成立する学校だった。


入学して、あとから気付くという、井の中の蛙な私。

ショパンコンクールで話題になった
ボジャノフも時々学内で見掛けたのだが、

正直、居ること知ったのは入学後という、これまた井の中さん。


プラットフォームで同じトラムを待つ彼も何度か見掛けたが、
黒い手袋をはめていて、それを付け外ししている姿が

すでに、いっぱんぴーぽーらしくないオーラだったのを
今も映像的に覚えている。


何かの学内オーディションだったかで聴いた
特待生のチェロの青年の音色が、強烈な美しさだったのはいまだ耳に残っていて

歌の子の伴奏をした時は、
「え〜学部生でこんなに上手いんだ。なんちゅう美声、、、」と心の底から思っただけでなく、
見た目の美しさにも、驚かされた。

歌の学生は、舞台で「演ずる」意識も高いからか、
そういう所からも、なんだか次元が違った。

優秀な生徒が自分の周りに沢山居るという環境。
学校に行けば、必ずずっとどこからか美音が流れてくる。

意識せずとも刺激を貰う毎日で
知らず知らずのうちに、自分の中で養われたものも、

特にデュッセルは、大きかったかもしれないな
と思っている。