エア練習のつもりもなく
「エア練習」っていう言葉、あるんですね。
最近、知りました。
私が学生の頃にも、あったのかしら。。。
東音楽大学で、野川雪/小泉今日子が、「紙の鍵盤じゃわからない!」って24時に嘆いていた
紙鍵盤練習の記憶は鮮明にあるんですが。。。(笑。TBS「少女に何が起こったか」より)
巷で言われるエア練習は、
音が出せない状況下、鍵盤の位置や指の確認などのために、よくやる動き
鍵盤上、打鍵無しで、形だけなでる仕草みたいなもの、と認識。
ブルースリウ氏が、以前snsにマイプラクティスとして動画をあげていたが、
その様子をこのエア練習と捉えたひともいるだろう。
同じ映像をみても、ひとによって理解は異なるのは当然のこと。
私の感覚では、リウ氏のプラクティスは
このエア練習には見えず、感じず、
彼が、彼の中にあるメモリ<ゼロ>の確認をしてたのだと推測していた。
メモリ数値は人によって幅が様々で、またそのゼロは音色にもリンクしているので
表現の幅が大きく左右すると私は考えている。
そんな考えから、深い関心をもって、
私も、古いフルコンの鍵盤でゼロ実験を試してみた
という動画投稿をしたわけだが、、、
自分の稼働記録をすることからすっかり遠のいてしまい、
また、かれこれ半年近く経過、季節を一つ越してしまった。
がその間に
素晴らしい共演者のお陰で充実したコンサートを数回経験でき、
年齢の熟しにめげず反抗的に積み重ねてきたゆえか(笑)
最近ようやく、自分の出したかった音への道筋のコントロールを感じるようになった
気がする。。。(w) ので
リウ氏のプラクティスの私的解釈もちょっくらアリかしらと自負し、
久しぶりの投稿という気持ちになった。
なんにせよあーこうして
せめて自分が納得できる領域までに、20年も掛かってしまった(; ̄ェ ̄)
ファンタジー的な言いかたをすれば、
これはポーランドで得たもの、ドイツで学んだ知識の”ハーモニー”
そしてその後の自己研鑽から成されたもの。
ここ1~2年で、その技術が特に駆使できるように感じ、
デュッセルドルフでの現代曲の取り組みから得た、(アフター)タッチの意識が更に重なって、
今の自分の奏法の布石になっている。
まだまだ発展途上だけれど、
これは、現時点における私の糧である。
と記録しておく(*´艸`)