伝えることの難しさ
つぶやきSNSをやり始めてみてから、
中では日頃の出来事に限らず、色んな情報が飛び交っていることを
遅ればせながら びっくり知った。
ポーランドやドイツ以外の国へ留学をした人は
教授から何を学んだのだろう、どんなレッスンを受けたのだろう…
また東京など、私が知らない地域で研鑽を積んだ人は、
どんな知識を得てきたのだろう…
その答えに繋がるつぶやきは、関心深いものばかりで、
読むことがすごく富に増えた。
今では、ピアノ奏法と検索すれば、情報は無数に出てくるし、
それに対しての意見も多種多様に溢れている。
SNS上で目にできるものも、
きっとそれのほんの一部でしかないだろうとは思うけれど、
たまに、
ああ これは今ある私の身体の感覚に近い意味かも…と感じたり、
もしや これは 私の奏法(体感している考え方)と重なるかも…
という内容に出会うこともあり、
そんなものに限って
音大出身者ではない理系の方のものだったりすることも 面白い。
そんな興味深い投稿をされた人が弾くピアノの音を聴いてみたいと
いつも思い、あればポチッとするのだけれど、
正直、YouTube、インスタやTwitter上の音源では、
本来の響きをリアルに聴くことは、絶対に無理なのだろうと感じる。
ましてや録音、録画環境が防音室であれば、
肝心な響きは壁に大吸収され、音の波は変わってしまい、
空気感なんてものが 正確に伝わるわけもない。
しかしながら
最近コロナの環境になって、ライブ配信が多くなった。
遠方の友人が出演するコンサートをパソコンの枠の中ながら
見て聴くことができるのは嬉しい反面、
小規模ながら きちんとしたコンサートが開催できる会場での
あるピアニストのピアノ配信では
司会者の言葉に反し
『空気感なんて(配信では)何も伝わりませんから』と
冷静に訴えるピアニストの意見に、
だよな。。。と納得させられる自分もいた。
彼は おそらく物理学的に考え、
信号に変換されて送られるアコースティック楽器の不利を分かった上で
コトを言いたかったのだろうと思う。
実際、電子ピアノの音は、
配信と相性がいいという意見や感想を多く耳にする。
要領を得れば、送る側、見る側のストレスも
電気を使わないピアノより、大幅に軽減できているのかもしれない。
そんな思いを抱えつつ、
せめてTwitterにあげることでモチベーションを作ろうと
アコースティック録音をしてみるのだが、
アビテックスの防音室の中で音が吸い込まれる感を感じて
響きどころか音量さえ思うように録音できず、
いつも結局、困り疲れ果ててしまう。
それに重ね、最近の配信や録音では、
エフェクトを付けるのも厭わなくなってきているようだ。
ネット配信でエフェクト(エコー)をかけて聴いてもらうかどうかは
その人の意思で自由な選択だし
その音が好きで、いい響きだと感じることは、
それも聴く側の感覚、一つの選択肢で、全然いいと思う。
聴いてもらう人には、
その方が心地良いケースがあることは、重々承知しているが、
「私以外私じゃないの」じゃないけれど、
自分にとっては、別人のようで意味が無くなってしまうので、
ワンテイク録り、 編集(音声加工)していません(T_T)と
正直に そのまま投稿することにしている。
(ちなみに、
おとしるしぶみで「オブリビオン」の音源を投稿しているが、
あれはドイツの学生時代、
同じ大学のミキサー・技術課程の子との共同で、
授業の一環としてスタジオ録音したもの。
CD化したものなので、色々作業してくれただろうと思うけれど
学生ながら、欧州人のヴァイオリンとアコーディオンの音色は
音源通りに本当に秀逸だったと思っている。)
リモートはとても便利で、確かにメリットも多い。
しかし、生の音をコンサート会場で空気を通して聴いてもらうことが
一番重要なことだと足踏みしている演奏者もたくさんいる。
極小規模コンサートしかできない私のようなピアニストでさえも、
生音を聞いてもらえる機会が減ってしまっていることは
とても残念だ。
医療関係者の方々への感謝を忘れず、
一日も早い世界の回復を 心から願っている。