ワルシャワの12月


ショパンの文字(筆跡)でデザインされたカレンダー】

           

 

これは少し以前のもので、いつだったか別のSNSに投稿したこともある。
年号が入っていないカレンダーなので
曜日が一致する年がまた巡ってきたら、絵感覚で飾ろうと思っていた。
それが今年で、いよいよ最後の月、12月が来た。

日曜日 Niedziela 
月曜日 Poniedziałek
火曜日 Wtorek
水曜日 Środa
木曜日 Czwartek
金曜日 Piątek
土曜日 Sobota

ポーランド語の木曜日と金曜日は、なんとなく数字と繋がって覚えた記憶があるけれど
規則性からすると、ドイツ語の方が日本と近い感覚で覚えやすいかもしれない。

オリーブとどんぐりがモチーフのリースは、10月収穫際のハロウィンみたいでもあるけれど
「父の二コルが1816年12月6日、
二コルからミコワイ・ショパンへとポーランド語に改名した命名日のお祝いのカードとして
ショパンが6歳の時、贈ったもの」とあるので
その意味からも最後の12月がふさわしい挿絵として、
ショパンが残した沢山のスケッチの中から選ばれたのだろう。

この絵は、すべてショパンによる手書きとされている…(フレデリック・ショパン博物館所蔵)

ショパンは、絵が上手だったというのは有名は話。

彼が描いたジョークや皮肉を表した絵も残っているのは知られているけれど、
それを使った別の月とは、随分と印象が違う。

この挿絵になったものはあまりにも完璧すぎて、文調も大人びていることからも、
お姉ちゃんと一緒に描いたのでは?と思わせられてしまうほどだ。

冗談好きで顔真似、形態物まねも上手かったというショパン。
けれど、演奏スタイルにおいては、いたってシンプルで
リストのような大袈裟なパフォーマンスつきの演奏を好まなかった、という。

ショパンは、クララ・シューマンの演奏も
「ドイツ女性の中では一番上手いと思うが、いちいち頭を振るのが気になる」と評したとか。

明らかに自分と彼らで
動源が違うことを感じていた所以では?と感じる。

聴くことに一旦集中させることができたなら、そのまま聴く人を弱音の世界へ引き(惹き)込み、
そのまま眠らせられる状態までもっていける事が、ショパンは己に分かっていた。
騒いでいた子供は、その戦法で眠らせてしまうこともできたとか。

その逸話(ショパン14歳ころ)からしても、
ショパンのコントロールは、絶妙な弱音の聴かせ方にあったことが想像できる。
彼が、他人の動きの模写が得意だったのは、
その人の力の動きを内面から構想し、また器用に自分で操作できたからなのだろう。

今年の暦は、
【12の練習曲 op.10】をリストに、そして
【ピアノコンチェルトOp11ホ短調】をカルクブレンナーに献呈した、1833年と同じで、
ショパンが作曲家として広く認められるようになった年でもある。

このカレンダーと同じく12月24日は火曜日だった。
ショパンは、パリでどんな聖夜を迎えていたのだろう…

                                                                     ※

12月のワルシャワは、
もう3時を過ぎれば、迫りくる日没で頭がぼんやりするようなうす暗さを感じる。
町に行き交う人はいるが、長い夜の憂いを感じる季節。

私が見た遠きワルシャワのクリスマスに、派手なイルミネーションの記憶は無い。
びっくりするほどに静まりかえる聖夜を迎えるために、
静かなアドベントが過ぎるだけだった光景は、日本と真逆に蘇る。

ちなみに24日の夜、マックはもちろんお休みだった。