なぜショパンが駅ピアノを弾いたのか
もし、なぜ駅ピアノを弾いたのか と問われたら、
ショパンは、その理由を
「そこにピアノがあったから」とシンプルな気持ちで答えるだろう
と以前の投稿には書いた、のだけれど
それとは別に、
ショパンのドイツにおける行動の記録として、
二―クスの著書にあるものから
もう一つ私が勝手に想像しているストーリーがある。
著書によれば、
ショパンはベルリンで人との交流を積極的にしていたわけではなく、
その代わり、あきれるほど楽器店巡りをしていたと。
つまり、
ピアノ製造所の様なものが、彼の注意を特に惹きつけていたという内容が
残されている。
ショパンの関心が現れたその行動については、
同行していた教授の証言によるものなのか、
もしくはドイツの印象としてショパンが手紙に残したものがあったのか、
詳しいソースは書かれていないのだけれど。
※
ショパンの最初で最後のピアノ教師は、
アダルベルト・ツィウニー(チェコ読み)という人だったということは知られた話だが
ヴァイオリニストでもあったその先生は、熱心なバッハの学徒でもあり、
教え方は、ポーランドで使われていた古典的なドイツ的方法だったらしい。
ショパンは、彼の教授能力を高く評価したが
ショパンの友人であるフォンタナは、
「ショパンが彼から学んだのは、音楽の根本原理だけだった」と
遺稿序文に述べていたようだ。
つまり先生の音を、
自分の理想の音とする概念は無かったとも考えられる。
ショパンが音の出る過程に非常にシビアな神経を持っていたことは
幼少期の頃からの事だったし
ショパンが受けたピアノレッスンは12歳で終わっている。
それと同時にショパンは、ヴァイオリンを構えたことはなかったのだろうか?と
思ったことがよくあったのだけれど。
どちらにしても リストのように
ベートーヴェンの弟子チェルニー先生が師匠、、、という
現代っぽいステータスが無い音へのこだわりは、
師匠という存在をソースとしないショパン独自の奏法を編み出すことになる。
もしや幼少期からショパンの身体には、
ひとと違う音を求めた運動生理学的なものを基盤とする
自発の神経回路ができつつあったのではないか、と思わせられる。
音の出し方にひどくこだわりがあったショパンの神経命令が
ベルリンで何を求め楽器店巡りをさせたのか。
その頃は、ピアノも改良されたものと古いものが混在する時代背景で、
その他の楽器からの考察による興味も有ったのかもしれない。
岐路につき、馬車の中では同行した動物学教授ヤロッキ博士との会話もそこそこに
ショパンの頭の中は、
ドイツ国境を超えた帰り道にあったピアノを目の前に、
どうにも弾かずして時をやり過ごすわけにはいかなかった
楽器店巡りでなにかしら得たものがあったショパンの気持ちは
「弾いてください」という招きも後押しし
まだしばらく馬車に揺られなければならないことを考えると
鍵盤に触れずにはいられなかったのかもしれない、、、、、、
という
自己顕示欲の小さかったポーランドの若者 フレデリック。
常に自分の音に厳しかった彼の身体がたくましくなかったがゆえに、
繊細な遺伝子を持ち備えた人だったのではなかろうか。
これは、あくまでショパンの音を聴いた人の色々な感想と
その時々に使っていたと思われるピアノの型から遡って推測した
私の勝手な物理理論的な思考から感じるもの。
これは、ショパンの中で密かな生理学的な研究心があったのでは?
という私の独壇的想像である( ̄▽ ̄)
この1828年9月末のベルリン旅行のあと、ワルシャワに戻ったショパンは、
翌年の5月、
あのパガニーニの演奏を聴くことになる。