1g以下の接触世界 ショパンが持っていた領域
鍵盤が下降するということは、言い換えれば
各メーカーがしのぎを削って造りあげているアクションをコントロールすること。
それには1g以下に並ぶ敏感な感覚が必要となる……というのは、
私の基軸にあるものだが、同時に
感情や気持ちのようなファンタジー感で、自在になるものではないと
考えている。
有益にできる感覚を人間以外の触覚に形容するなら、
それは拙著の表紙に例えて記した、蝶の脚だ。
蝶が子孫を残すために持っている感覚能力。
私が言葉に込め託した意味は、
鍵盤上でバタバタと見せる動きを指すものではない。
最近は、
指先では弾かない、、、というような指導や
指の先端でなく、大いに腹を使って動かすという教授もあるようだが、
私が指すのはそういったマクロ域のものでもない。
ピアノを弾く末端の指先は、
鍵盤の深みの段階を得るための尺度と
アクションのテコ利用された動きを感じる感性が要と究めている。
指の捉え方はじめ奏法理論は
それぞれピアニストの脳の中にあり、
鍵盤に一番近い位置にある手、指の説明は
当然その人その人に違って持ち合わせるものとして存在する。
それぞれの考え方から創り出される指先の感度の尺度により
動かし方やそれに伴う「打鍵の深み」という言葉の意味も
また複雑に変わってくるだろう。
しかしなにも難しいことを考えなくても、
アクションのお陰で鍵盤はとりあえず簡単に下がり、戻ってくれる。
そうしてひとまず音が出る仕組みになっているのが、ピアノという楽器だ。
他の楽器のように音程をつくる必要がないので、調律済みで
音の並びに沿って鍵盤を下降させ得れば、メロディは成り立つ。
しかしながらアクション全てに面し扱う調律師さんは、
音色の変化手段の一つとして、レットオフ操作を当然のごとく提示される。
上級以上の技術というものを考えるならば、
それを駆使しコントロールすることは、
奏者にとって当然の必須技術、という認識だろう。
私の感覚では、レットオフという表現は経過後になり
ポイントから少しズレる感が否めないが、
この現象を表す言語化がそもそも容易ではないゆえ、
調律師さんの立場としても、レットオフというのが妥当になると感じている。
それを含み打鍵をコントロールするには、
小数点以下、限りなく小さいマイクロ単位の接触感覚世界であると考える。
この過程を駆使できなければ、繊細な領域に臨むことは難しくなる。
ショパンは200年も前の人と声高に言う人もいるけれど、
ショパンの身体は現代に生きると現代人と解剖上なにも変わらない。
ただ、飛びぬけて鋭敏で繊細な神経を持ち合わせ、病弱だった
ということだ。
現代ピアノの原型と言われる構造のピアノを扱う上で、そういった
自身の身体知分析を明晰にマイクロ領域でできていた最初のピアニストは、
ショパンだったのではないか、と私は想像している。
それ以前の楽器を使っていた偉人モーツァルトを外すとして。
ショパンが備えていたであろうピアニシモの打鍵。
彼のように、感性の深みを思うがままの打鍵の深みに変換するには、
何が必要なのか。
ショパンが弟子に遺した言葉から、何を読み取るべきなのか。
自分にとって都合のいい部分だけ取り上げ、同じだと安心しても
すべて一貫する繋がりを見付けられなければ、それは成立とし得ない。
…な~んて、打鍵理論のテーマを自分に掲げていたら、
私は、あ~だこ~だで一生ゴールを追い続けることになるんだろうなー…
えへ(。-∀-)涙

