鋼の森へ続く テコの森
コーチのバッグに後付けできるアイテムとして
最近販売されているブック型デザインのチャーム(キーホルダ)。
その本は、なぜか「羊と鋼の森」 と「蜂蜜と遠雷」の小説になっており、
ハードカバーの本をそのまま小さくしたような作りで
全文がちゃんと収録されているらしい。
この二冊はページ数も大きく異なってそれぞれ。
「自分らしく」というブランドのコンセプトとなにかしら繋がって、
この二作が選ばれたのかしら…
八年くらい前だっただろうか。
2016年の本屋大賞を受賞した小説の実写版ということで、
この「羊と鋼の森」の映画配給があり、
私にとって邦画では随分久しぶりな、映画鑑賞に出かけた記憶がある。
映画と言えば、
ワルシャワで観た「ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT」と
プラハで観た「ガーフィールド」がその前の懐かしい記憶だった。
ブッキー(妻夫木聡)とチバシン(千葉真一)が出るらしい…
と聞いて日本恋しさが生まれたのと、
昔飼っていた猫がガーフィールドにそっくりだったから、
というのが足を運んだ理由。笑
あの時の映画も、私にとっては随分久しぶりだったのだが、
結局それ以来、映画館に出かけることは無く、
帰国後、小説「羊と鋼の森」が出版され、本を手にした。
題名の「羊と鋼の森」というのは、
ピアノアクションの最後の動きを受け持つハンマー素材の羊、と
奏者の打鍵によるエネルギーを受け取る、何トンもの張力で張られた弦のことを
指しているのだろう。
羊というのが作者の意図として、
どこまでの領域のことをイメージさせるものなのか。
ハンマーのあの丸く見える部分のことだけを言っているのか、
もしくは、アクション全体のことを言っているのか。
執筆に際し、作者は調律師さんにかなりの取材をしたという記事から推測すると、
前者を指しているように読み取れる。
しかし、羊という素材は、厳密にはハンマーのみに使用されているものではなく、
当然、調律師さんの立場でそれを知らないわけはない。
「羊と鋼の森」という語呂並びは、耳障り的にも確かにイケてる。
実際は、鋼の森の手前に
それと同じ数、鋼の森へと続く物理法則のテコの森があるはずだが、
「テコと鋼の森」という現実ではどうにも言葉の滑りが悪いし
小説の題名として、キャッチーではなく感じる。
何をどう言っても、結局コントロールしなければならないのは打鍵。
その下降スピードのコントロール無しに繊細な音色へは繋がらない。
その獲得は、リハビリのようなものだ。
この「羊」というワードには、アクションの「結果」が込められているとして
奥深く捉えられるとより面白いな、と感じている。
「これで今日からあなたの音は生まれ変わる!」というような副題を付けたら
拙著もキャッチーに映り関心を得るかもしれないが、
ファンタジーな小説ではなく、奏法を考察した本とする以上
そんな耳障りの良い誘惑的な言葉は、安易に選択すべきではないし、できない。
100年以上前に刊行されたものを手にできてしまうと尚更、
書籍は長い命を持つものだと感じる。
本当に知りたいという欲から発したもの、そこに純粋な価値のあるものは
時を超えて、幾重に時間が重なっても、いつか辿り着け得ると想わされる。
大昔に、「安・近・短」というのが流行った。
安く(=YouTube動画で見れる)、近く(=在宅可能)、短い(=すぐできる)
というものは一瞬お得感満載だが、
一時的なもの、形だけの達成感である可能性が高い気がする…
いわゆる「かりそめ」だ。
それ以前の十分な知識や見解が無いと、目の前のものを正確に判別できず、
自分がカリソメ天国にいることすら、気付かなくなってしまう。
学びは、瞬間を盗むものではなく、必ず存在するそうなる理由を得るもの。
時間を掛けることを惜しむのではなく、掛かっても然るべきで尊いもの。
コスパコスパと言われて過程が省略されがちな世の中だが
自分で思考し、自ずの身体から理解する体得と会得は、
その過程という領域に存在するのでは、と感じている。

